2019年1月23日水曜日

核のない世界を・被爆者と日米のアクティビストがNYで思いをひとつに

July 13, 2018

核兵器禁止条約の採択から今月で1年、核のない世界をめざすNYのグループ「マンハッタン・プロジェクト(Manhattan Project for a nuclear-free world)」 の主催で7月13日、被爆者が体験を語る会が開かれました。



出席したのは、ピースボートの「ヒバクシャ地球一周 証言の航海(通称:おりづるプロジェクト)」でNYを訪れていた被爆者3人。2008年にスタートしたこのプロジェクトは、広島・長崎の被爆者とともに船旅をし、参加者がクルーズの中で学ぶと共に、世界各地で原爆被害の証言を実施し、核廃絶のメッセージを世界に届けることを目的としています。


上田紘治さんは、3歳の時、広島で被爆。倉守照美さんは、1歳で長崎で被爆。品川薫さんは、広島の「被爆2世」。上田さんも倉守さんも幼かったため、当時の記憶はありません。上田さんは、お母さんの体験をまじえて原爆の脅威と被爆の脅威・悲惨を語りました。好きな相手との結婚を相手の親の反対で断念せざるを得なかったという倉守さん、そして公開の場ではそれでも時に涙をこらえながら語るけれども家族とは原爆体験の話はしないという上田さんも、被爆者が負わされた社会差別と次代への被爆の影響の怖れにさいなまれてきました。また、広島の平和公園でガイドを務める品川さんは、修学旅行生など戦争を自分の問題として捉えられない子どもたちへ、核の脅威・核廃絶を訴えることの難しさを語りました。







会では、アメリカで核廃絶の活動を行っているアクティビストから活動状況報告コメントも行われました。1956年に発足し長い歴史をもつ団体Peace Action のサリー・ジョーンズさんは、冷戦下、子どもの頃、頭を抱えて机の下などのもぐる(「ダック・アンド・カバー」)訓練を受けるなど、核兵器への脅威をそれなりに実感しながら育った自分たちの世代がそれを知らない若い世代に核廃絶の思いをどう継承させていかれるのか、アメリカでも記憶の継承の課題があることを話してくれました。


浄土真宗本願寺派の僧侶、中垣顕実さんは、広島で被爆した親鸞像が建つニューヨークのBuddhist Churchの住職を長らく務めた方ですが、毎年、原爆犠牲者追悼平和祈念式典を開催し、今年で25周年を迎えます。アメリカは唯一の原爆投下国。イベントを始めるころ、アメリカの日本人コミュニティの間に、アメリカに遠慮して尻込みする声もあった中、逆にアメリカの特に宗教家関係でつながる人々から、いやいや唯一の原爆被害国、日本の人たちが声をあげずにどうやって核兵器の非道さを伝えていかれるのかと大きな励ましがあったと語りました。中垣さんは、今年も8月5日にInterfaith Peace Gathering を計画しています。


他にも1986年にワークショップで広島を訪れたサリーさんは、被爆者たちから贈られたという千羽鶴のレイを身につけ、核廃絶を訴えました。


核兵器禁止条約の発効には、50ヵ国の批准が必要ですが、現在までに批准したのは11の国と地域にとどまります。上田さんは「被爆者が経験した地獄のような出来事を二度と繰り返してはいけない」と述べ、多くの国が核兵器禁止条約を批准し、早期に発効するよう活動してほしいと訴えました。


会には、昨年、ノーベル平和賞を受賞したICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンの川崎哲さんも、ノーベル平和賞メダルのレプリカと共に出席。有力核保有国、特にアメリカ、フランス、ロシアが途上国に、同条約への調印・批准をしないよう、圧力をかけている、こうした保有国自らが調印・批准をしないだけならまだしも、せめて核廃絶を望む他国に政治的・経済的圧力をかけ、阻止することがないよう、アメリカ市民や有権者はぜひ、アメリカ政府に圧力をかけてほしいと訴えました。


会の記録は、Manhattan Project for a nuclear-free worldのフェイスブックに詳しく載っています。同団体では8月3日にニューヨークの日本総領事館前でスタンディングを予定しています。井上まりさん、田中康予さん、みなさま、いつも有意義なご活動、ありがとうございます。

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