2019年6月14日金曜日

因縁のマイケル・ムーアと原一男。原一男6作品MOMAで上映

June 13, 2019 published




66日から14日までNYMOMAフィルムセンターで開かれたCamera Obtrusa The Action Documentaries of Kazuo Hara(カメラ・オブストルーサ:原一男のアクション・ドキュメンタリー)は、驚きの連続だった。

驚きその1。マイケル・ムーアが「日本のsoul brother」と呼ぶほどの原ファンだと知ったこと。で、マイケル・ムーアが『ゆきゆきて神軍』の上映に来てQ&Aセッションの司会をやった。MOMAならではの、豪華キャスト。満員御礼の売り切れとなった。


驚きその2。原さんのキャラ。立て板に水のトークが、めちゃくちゃ面白い。大昔に見た『極私的エロス・恋歌1974』のナレーションで当時の原さんのひょろひょろと繊細な声を聞いていたので、正直、期待していなかった。が、声の張りからしてもう、別人。撮影・制作裏話をサービス精神満タンで教えてくれる。映画の良さ、面白さをもっと深くわかるまでは逃がしませんからねといわんばかりの貪欲な迫力。驚いたあ。

驚きその3。原さんトークにすっかりはまって調べたら、あるんですね、ネットにどっさり。(ニコニコの期限限定「朝まで、原一男」は、なんと7時間を超す)。おまけにマイケル・ムーアと原さん、この2人にフォーカスを当てたイベントがすでに10年以上も前にミシガン大学で開かれていたこともついでに発見。




おかげでまるまる1週間を原作品・原トークざんまいで過ごすこととなった。せっかくだから、まだこれからの人たちに引導を渡すために、原トークのお裾わけをしておこうと思う。

原一男 vs マイケル・ムーア

まずは、MOMAでのマイケル・ムーアと原監督との対話から。


マイケル・ムーアは、まず、こう口を切った。「『ゆきゆきて神軍』を発見したのは、『ロジャー&ミー』を作っていたときでした」。

『ロジャー&ミー』は、ムーアの生まれ故郷ミシガン州フリントで自動車工場が閉鎖され失業者が増大したことを題材にしている。責任代表者であるゼネラルモーターズ会長にムーアがアポ無しで突撃取材を試みる。庶民目線に立ち、権力者に生身で無手勝流、果敢な対決を挑む。権力構造に挑戦しながらも笑いがいっぱいの、マイケル・ムーアの世界を確立し、ドキュメンタリー映画史にとって重要な作品となった。

が、作りながらムーアは、心配だった。これまで自分が見てきたドキュメンタリーとは違う、撮られる世界に作者がのめり込みなだれこむ作品。こんなことして、いいのだろうか。『神軍』をみて勇気をもらったとムーアは言う。「あるべき」と思いこんでいた「ドキュメンタリーの一般文法」から解き放ってくれた、と。


筆者にとっては30数年ぶりの、『ゆきゆきて神軍』。始めてみた時はなぜだかNYのチャイナタウンの映画館を借り切っての上映会だった。

The Emporer’s Naked Army Marches On. 1987. Directed by Kazuo Hara. Courtesy Kino International Corp./Photofest.

久しぶりに見た『神軍』は、オープニング・シーンからしてシュールだった。

「田中角栄を殺せ!」とアジビラ風にびっしり書き込まれた車に乗った主人公、奥崎謙三が、農村の結婚式の仲人を頼まれてでかけていく。昭和文芸大作ともみまがう華やかな映像でとらえられた結婚式のシーン。自己紹介を兼ねた媒酌人挨拶の中で、自分の素性を得々と語る奥崎さん。殺人事件で何年、刑務所にはいった。その後、皇居でのお正月参賀で天皇に向かってパチン玉を撃った。東京のデパートの屋上から天皇ポルノビラをまいた。裁判では、チンポコをだし、判事に小便をひっかけた、うんぬんかんぬん。




自分は13000人中、帰還者が1000人足らずだったと言われるニューギニアでの激戦から神のご加護で無事、生還できた。亡くなった兵士たちの供養をしてまわっているが、戦後、まったく責任を取らずにのうのうと生き延びている天皇を許せない。のどかな農村のおめでたい結婚式で、戦争責任者への怨念と懲罰に向けた暴力も辞さないアクションへの誓いを場違いなどくそくらえとばかりに宣言するのだ。

演じ続けた奥崎謙三

MOMAでの30分あまりの短いセッションで、ムーアが焦点を当てたのは「暴力」だった。

「ニューギニアで部下をリンチ同然に処刑し、その人肉を食べたとおぼしき上官を映画の主役である奥崎さんが殴るのを見て、正直、カタルシスを感じます。でもその後、中隊長の息子を射殺し、直接、罪もない次世代を処刑したことを正当化しようとする奥崎さんの言い分は、倫理的にどうなんだ」と。

「奥崎謙三さんという人を理解するには、時間がかかりました」と、原さんは応え、こう続けた。奥崎さんが目的のためには暴力を使うことを正当化する。それは半分、あたっている。「でも、あとの半分は、彼は商人なんですよ。どういう風に動けば、映画が受けるかという判断をいつもする。この映画全編を通して、演じているという感覚をずーっともってる人なんです」。



こんな例を原さんはあげた。たとえば、拘置所に行くシーン。奥崎さんには自分独自の神のイメージがあり、神殿を建てたいと思っている。その神殿って、どんなイメージかと聞くと、拘置所の独居房かなと言うので、一緒に見に行くのだが、警備員が大勢出てきて門前払いをくわされる。その警備員たちに奥崎さんが悪態の放題をつくして罵倒する。なんで、こんなに怒るのか、わけがわからないまま、カメラをまわした。撮り終えた後、奥崎さんは言った。「原さん、いまの演技はいかがでしたか?」監督は卒倒しそうなほど、驚いた。

カメラの前で主人公が演技するドキュメンタリー。これは、ノンフィクションなのかフィクションなのか。だが、原さんは、奥崎さんひとりにストーリーを書かせたわけでは毛頭なかった。


最初、奥崎さんは、戦争の話を映画の軸にすえることに乗り気ではなかった。戦後36年がたっており、戦争の話の映画なんて誰もみやしないと思い込んでいた。

実は、奥崎さんがやりたかったのは犯罪。たとえば、こんな映像を思い描いていた。815日の終戦記念日に、大きな花束をもって奥崎さんが靖国神社に参拝する。花束の中には日本刀が仕込んである。神社の一番の奥の神殿についたら、花束の中から刀を引き抜いて斬りかかる。

「世界にはドキュメンタリー作家が大勢いる。だけど、殺しの場面を撮れる映画監督は、原さん以外にいませんよ。これは、原さんに対する私のプレセントです」と、奥崎さんは原さんを誘惑した。


昭和の日本を描く


「この映画には、人肉事件をミステリーを追っかけるシーンと戦友たちを訪ねて奥崎さんが慰霊をするという要素がある。犯罪に走ろうとする奥崎さんの衝動をおさえて、奥崎さんが上官たちを訪ね、戦地で起きた人肉事件を追及するというストーリーにもっていったのは自分だ」と、原さんは言う。


ここらを掘り下げて、別のトークで原さんはこうも言っている。

「私は、奥崎さんを描くことで、戦後36年たった日本の状況をなんとか映像化できないかなあという風に思ってたんです。奥崎さんが元兵士たちを訪ねていく、これは真相を追求するという意味合いもありますけれども、それ以上に、奥崎さんは、ひたすら国家権力に向かってというか天皇制に対してケンカを売り続けている、その奥崎さんの戦後という時間の中の生き方と、奥崎さんと同じように生きて帰った元兵士たちが、[戦争を忘れ去ったかのように]家庭にはいって生きてきた時間。それの対比をすることで、その当時の日本というものが、何を意味しているのだろうかということを描こうと考えたんです。


もろ戦争を描くというんじゃなくて、戦争といまの現代日本が続いてるんだっていう感覚があるんですよね。だから、戦争の隠された真相をあばこうというのが、必ずしも主目的ではないんです。率直にいいまして私が何に一番興味があったかっていったら、国家権力、体制、システム、天皇制に対してたった一人でけんかを売り続けているという、そのエネルギー、それを描きたかった」。

また、奥崎さんの暴力について別の角度から触れたトークもある。

上官を訪ねての追及の中で、奥崎さんはそれぞれ別々に2人の相手に殴りかかる。でも、最初の人を殴ったとき、自分は「手加減して殴った」と奥崎さんは映画の中で口にしている。「この言葉は本当だろうと私は思う」と原さんは言う。殴られた相手がもう言うしかないあな、とあきらめる。それを計算して殴っている。「告白させるために、殴る。商人だからね、ある意味」。

とは言うものの、「中隊長さんの息子さんを銃で撃った。これは、そういう言い訳はできないです。まぎれもなく暴力です。奥崎さんの思想は非常に危険だと思います。テロリズムの発想です。私はそれは、弁護する気はないんです。しかし、テロリズムという考え方を世界的にみると、どこか一抹の支持を受けてる。戦争の問題はそういう形で尾を引くと思います」とも。

奥崎さんという人は、昭和という時代だから受け入れられたといういう気がしてならない。映画が完成して1年たって昭和天皇がなくなった。もしこれが10年遅れて私達が奥崎さんと出会って映画をとっていたら、きっとたたかれただろうっていう気がしてなりません。これはまさしく昭和の映画なんだという感じがしてしょうがないですね」




危険な国へと進む日本


時代ということでは、MOMAでのセッションでマイケル・ムーアもアメリカのいまに深い懸念を口にした。ムーアのお父さんもおそらく奥崎さんがいた頃、米海兵隊の一兵士としてニューギニアに派兵されていた。クリスマスの日、お父さんの部隊は、彼らを日本兵を誤認した米軍機の射撃を受け、16人中、ムーアのお父さんをのぞく15人が死傷した。お父さんは生きて帰国できたけれど、伯父さんはフィリピンで狙撃されて戦死している。

「かつての敵国だったそんな日本もそしてドイツの人たちもいまでは平和を愛する人たちにみえる。でも、いまのアメリカは内戦が起きても不思議じゃないほどに分裂してしまっている」と、ムーアは続けた。MOMAからほんの2ブロックほど先のトランプタワーの住人トランプのために祈ろうとキリスト教右派のリーダーが呼びかけて、この日曜には全米各地の数千もの教会で信徒がトランプへの加護を神に祈った。アメリカ人が保有する銃の数は、36000万丁にのぼっている。自分の身を守るという言い分で、暴力がはびこる。こんなアメリカが、どう見えますか?

ムーアのシリアスな問いを原さんは、こう受けた。「日本の首相は、トランプの番犬といわれています。いまの総理大臣は戦争をしたくてしょうがない。日本人にとって戦争は、第2次大戦。の記憶をもっている人がみな、年取ってどんどん死んでいる。私は防空壕で生まれということもあり、まだ、戦争のこわさをどこかで記憶し引き継いでいる。でも、いまの政権がどんどん憲法を壊していってもそのことのもっている危険性に気が付く日本人は、いまとても少ない。でもアメリカ人は、そこに気づいている。戦争というもののこわさはちゃんと語りつがないといけない。リアリティをもっていない日本人がいまものすごく多い。だから、日本はこれからとても危険な国になるだろう」

もがき暴くアナーキーなアクションドキュメンタリー


Q&Aセッションでは、会場から「どうして見る者がこんなに居心地悪く感じる映画ばかり撮るのですか?」という質問も出た。原さんは、にんまりと笑った。「人間て誰でも隠したいことをいっぱいもっている。そういうことを、なんで、なんで、どうして、どうして、と聞くのが好きなタイプなんだろうと思います。」

で、時間もなくその場はそれで終わったのだが、実は、原さんの人生哲学の核心につながる問いなのだった。原さんの著書の中にこんな一節がある。



「もちろん、そういった隠さなければならないという恥の感情を支えているのは、社会の約束事だ。そういった恥ずかしいという気持ちを引き起こしている制度化されたイデオロギーを完膚なきまでに打ち壊したい。人は生きていく中でネガティブなものを抱えているからこそ、ポジティブなものを探そうとする。こうした矛盾がひとりひとりの生きようとする意志の構造の源泉だと思う。カメラを武器にして人の中にどんどんわけいり、人間という存在の全容をみたい。どこまで、掘り下げられるか。撮る相手と闘いながら撮っている」[注:原さんの日本語での発言が英語に訳されたものを、日本語に訳し戻そうとしているので、もしかしたら、最初の発言から、ずれてしまっているかもしれないけれど。翻訳糸電話効果で]。

また、こうも言う。「奥崎さんにとっては、犯罪が表現であり、表現を求める原衝動にかられている。自分が木っ端みじんに壊れる瞬間、その時に自由を感じられる。奥崎さんは刑務所の中でだけ自由を感じていられるんだ」「自分も作品を作っていて1本に1回くらい、自分が壊れる一瞬があり、それを追い求めている」と。


Mata no Hi no Chika (The Many Faces of Chika). 2005. Japan. Directed by Kazuo Hara. Courtesy the filmmaker

壊れること。自分で壊していくこと。唯一の劇映画『またの日の知華』(パートナーの小林佐智子さんが脚本を書いた)では世間の価値観から見て「墜ちていく」ことに解放を見る主人公にこの美学が結集され、辺境に赴き、飼い慣らされない野生を求める『極私的エロス・恋歌1974』の主人公の生き様もここにつながる。

Kyokushiteki Erosu Koiuta 1974 (Extreme Private Eros: Love Song 1974). 1974. Japan. Directed by Kazuo Hara. Courtesy the filmmaker

小説家・井上光晴を主人公にしたドキュメンタリー作品『全身小説家』では、井上が書き綴りくり返し語ってきた自らのおいたちや子供時代・青春の記憶まったくの嘘(フィクション)だったことが映画の進行と共にばりばりと見破られてくる。そんな井上さんについて、「業が深い!」とした書き込みを受け、生トーク中の原さんは、言い放った「業が深いんですよ!業が深くなかったら、面白くもなんともないですよ、人生なんて」。




カメラをかまえて挑み、業をさらせ、もっとさらせと相手を追い詰める。追い詰められ社会からはめられてきたがが壊れるとき、自由を感じ、解放された自分を発見する。

「自己変革」(後に時代と共にメロー化して「自分探し」に陥った)。アクションが、「自分」を「壊す」求道をめざして行われるという点で、原一男とマイケル・ムーアは、徹底的に違っている。原の方が、ラディカルでアナーキーなのは確かだけれど、だからってどっちの方が偉いという話ではない。

原さん自身は、マイケル・ムーアと自分との違いを、こう語っている(らしい。これまた、日本語の英訳からの日本語戻し)。

「観客の感情をかきたてて奮い立たせる。マイケルは、ことばを通してこれをやるけれど、私は身体を使う。私の映画を見た後で、観客が自分も行動をおこしたい、身体を使って何かしたという欲求にかられる。そんな風にしたいんです。そういう風に観客の身体を拉致(kidnapと訳されているけれど、もともとの日本語でなんといったのだろう?)したいんです」。

Sayounara CP (Goodbye CP). 1972. Japan. Directed by Kazuo Hara. Courtesy the filmmaker

身体という意味で、今回のMOMAのシリーズで、個人的にもっともすさまじい衝撃を受けたのは、処女作『さようならCP』だった。脳性麻痺で身体も「ふつうに」動かなければ、言語障害もある主人公たちが、車椅子から降りて道をはいずり、自作の詩を「朗読」する。「見ろ見ろ、聞け聞け」と道ゆく人に「障害」をさらして迫るのだ。閉ざされ守られている家から一歩外に出れば、そこにいるだけで人目をひき、あるいは目をそらされてしまう。「異形の存在」だと思い知らされてきた彼らが、カメラを手に健常者の前に接近して相手を被写体にすることで権力構造を逆転させようとする場面もある。

人が醜いという肉体を人前で真っ裸になってさらしたい。が、それはとてつもなく怖いことでもある。ケンカを売りながら撮ったと原さんがいうが、原さん、そしてパートナーの小林佐智子さんが、家族にひきとめられそうになる主人公・横田弘さんを崖っぷちから落とさんばかりの気迫で口説き、ものすごい作品を完成させた。
かわいそう、お気の毒、見てはいけない、という健常者の上から目線は壊され、相手をひとりの人として見る土台ができる。健常者と同じシステムの中で暮らすには、手間も時間もひと一倍かかるし、語ることばも聞き取りが難しい。だが、CPの人たちの知性と闘志に観客ははじめて気づく。

相模原殺人事件なんて、とんでもない。殺されてたまるか。横田さんがリーダーだった、神奈川・青い芝の会のメンバーたちは、映画完成から数年たった1977年には、路線バスでの車椅子障害者に対する乗車拒否が相次いだことに対し、「バス闘争(川崎バス闘争)」を展開した。「強引にバスに乗り込んだり、バスの前に座り込んで運行を止めたり、バスの中で消火液をぶちまけるなどの実力行使」を行い、公共交通機関の障害者アクセスに一石を投じた。すごいパワーだ。

疾走をめざす原さん。原さんは、井上光晴の人生観に強い共感をもっていて井上のことば「上品に激烈に、やりたいことを全部やる」「何度、自分を引きちぎったかわからない」自分を壊して壊して「第3の自分を作りだすんです」に、深くうなずく。

8時間の大作『水俣』へ

走りたいのだ。だが。「実は私は、アクションドキュメンタリーといいまして、きわだった個性をもった人たちを主人公にして映画を作ってきたんですよ。で、時代が平成になって奥崎さんを筆頭とする非常に個性の強い主人公、いまどこ探してもいません、日本に。いないんです。なぜならば、そういう生き方を時代が許さなくなったからですよ」


では荒ぶる鬼が姿を消した時代に、何を撮るのか。『ニッポン国VS泉南石綿村』の主人公たちは、それまでの「表現者」たちとはうってかわった「生活者」たち、石綿工場で働き、被害者たちだ。懸命に働いて生きてきたいい人たち。監督が撮られる相手にとても優しく接し、完成した作品をみて撮られた人たちが心から喜んでくれたただひとつの作品だとMOMAでの上映で小林幸子さんは言い、観客を笑わせた。

相手とぎりぎりの格闘をしながら撮ってきたアクション・ドキュメンタリーに戻れないことに、いま監督は寂しさを隠せない。





だが、かつてのアクション・ドキュメンタリーも、光り輝く主人公だけでできあがっているわけでは、もちろん、なかった。忘れられない名脇役たちが大勢いたのだ。奥崎謙三さんのお連れ合い、武田美由紀さんの沖縄での黒人バーで仲良しになったバーガール仲間のおばちゃん、横田弘さんのお連れ合い、先生・井上光晴さんへの発情をむんむんと香らせるお弟子さんたち。『石綿村』は、こういったかつての味のある名脇役たちの流れをくむ人たちが、たくさん登場する、アンサンブル・プレイだ。その忘れがたい人たちがひとりひとり、裁判闘争を闘いながら、命を落としたり、裁判からはじき出されて負けていく。

原さんの作品を見ながら、私が涙をこぼしたのは、いまのところ、この作品だけ。泣いておしまいにされてたまるかと、原さんは思うかもしれない。裁判後、ようやく被害者を訪れて優しい顔をしてみせる大臣にバカにされてどうするんだと被害者に対して、内心、忸怩たる思いもあったかもしれない。が、これもまた、現実だ。


MOMAの上映会では、現在、編集の最終段階にあるという新作『水俣』のさわりも公開された。上映時間8時間になる予定だそうだが、土本典昭監督作品とは、まったく違う斬り込みになるに違いない。公開が待たれます。


2019年6月8日土曜日

クイーンズのプライド・パレード 社会は変わる 嬉しく変える



富美子さん&エレノオさんに大喝采!


LGBTQのプライドを祝す、クイーンズのQueens Pride 2019 パレード。アメリカでもほんの50年ほど前までは、同性の人たちが愛し合うことは犯罪史されていた。ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール」で警官の手入れに抗議して居合わせた人たちが警官に向かってハイヒールを投げつけたりして果敢に立ち向かい同性愛者の権利獲得運動にとって歴史的な一歩を記したのが、1969年6月28日。マンハッタンでは、28日に国際的な規模で50周年が祝われる。




6月2日にクイーンズで行われたパレードに、「32年間、一緒です」というサインを手に富美子さんとエレノアが参加。二人が歩くと拍手がまきおこり、「うわあ。32年だって」という声があがる。きっと、こうして二人で仲良く歩くことは、苦しい体験もたくさん背負わされながら、自分を貫いてきたふたりの喜びと誇りの表れであるとともに、勝ち得た権利を守り強めていくための闘いのひとつでもあるのだろう。Happy 32 years together, Fumiko & Eleanor!

2019年6月4日火曜日

立ち現れた記憶を引き継ぐ。NYでの『沈黙:立ち上がる慰安婦』上映会




「生存者は現在、22人。平均年齢が高齢化し、90歳台になっています。今年になってもう3人亡くなりました」

416日、マンハッタンのコミュニティ・カレッジで行われたドキュメンタリー映画『沈黙:立ち上がる慰安婦』上映会で、朴麻衣さん(パク・スナム監督の長女。監督を支え、編集・プロデューサーを担当した)は、慰安婦被害者たち本人に残された時間がごく限られていることを、あらためて明らかにした。

この映画が描いた天皇・日本政府の謝罪を求めて1990年代半ばに来日して日本にやって来た朝鮮の慰安婦たちの闘いに登場するハルモニたち15人中、生存者はわずか4名だとも言う。

おかした罪を隠蔽し政府同志のボス交で過去をもみ消そうとする日本政府と、天皇制を盾にして諦めを強いる日本社会の無慈悲。身ひとつで立ち向かい、知恵を絞り、怒りと嘆き、叫びの限りを尽くして恨(ハン)を晴らそうとするハルモニたち。その闘いの姿、さまざまな支援と立場の違いによる運動のぶつかり合いが映画はダイナミックにとらえる。

NY上映会での朴麻衣さん