2018年5月1日火曜日

1968 その時 コロンビア大学で

1968年4月末、キング師暗殺の悪夢でアメリカ中で揺れ動いていたとき、NYのコロンビア大学で学生たちが燃えていた!


ハーレムの西側に位置するこの東部エリート校で体育館を建てる話が進んでおり、だがその立地として選ばれたのがハーレムの子供たちの遊び場だった公園だった。地元黒人コミュニティは反対してるのに!また、ヴェトナム戦争さなかの当時、コロンビア大では軍事研究が行われており、それもまた若者の正義感にとって許しがたいことだったのです。

学生たちは、教室の机や椅子でバリケードを築き、授業ができないようロックアウトして(おお、懐かしいことば!)3週間たてこもりました。

大学側は警察を導入し(これまた、日本の大学でもやったなあ)、4月30日には、NY史上いまだに記録が破られていない1日に700人が一斉に逮捕されました。

パリでもNYでも、そして東京でもこの年、大学は燃えまくっていたのです。それから、50年。コロンビア大学では「大学革命」の意義を問い直すシンポジウムが4月27日から29日まで開かれました。




回顧イベントはこれまでにも行われてきましたが、今年の50年回顧で新たにフォーカスされたのは、黒人学生たちが果たした役割、そして公民権運動を始めてとしてブラックアクティビズムが及ぼした影響でした。

当時のコロンビア大では黒人学生の数は限られていましたが、独自の先端的役割を担いました。キング師の暗殺直後で警察はハーレムで暴動が起きることを怖れていたため、黒人学生の逮捕は控えたという事情もあったようです。

歴史の記憶をどう組み立てていくかは、とても興味深いテーマですが、このシンポジウムの現場で、愉快なことが起こりました。女性たちの叛乱です。人種的マイノリティには光があたったのに、会議では女性の視点にかけていると反旗をうちあげたのです。




コロンビア大学はすぐ隣に当時の女子大バーナードがあって、1968年当時はコロンビア大の女子学生もバーナードの学生も「革命」に加わったのですが、せっかくの女性パネリストも女子学生が果たした役割をあまりがんがん言い立てず、光が当てられていないことが許せず、セッションとセッションの間に声をあげ、当時の女子学生たちによるパネルの時間枠を主催者に断固要求して、実現させたのです。中には、そのまま政治活動に邁進して地下に潜ったりキューバに逃れたりという人もいました。

男女人種を問わず、当時の体験者による同窓会的性格も強い会議でしたが、会場を一歩でるとコロンビア大のキャンパスでは学生組合の結成を求めて大勢が座り込みを行っていて、50年前の心意気がいまも違う形で生きているのには、わくわくさせられます。



3日間の会議のうち、私が聴きにいかれたのはごくわずかでしたが、「大学革命」は政治革命にはいたらなかったけれど、社会や文化を確実に変え、フェミニズムへの道を開いたというのがおおかたの見方のようです。やはりこの時期、50年代までのアメリカ社会が、はっきり壊れたのですね。

Democracy Now! April 18, 2018:

"Graduate Students at Harvard, Northeastern, Columbia Demand Right to Form a Union"

日本はというと、波瀾万丈いろいろあったけれども、なんかずるずる何も断ち切られず、というか、わずかばかり残っていた戦後の「良心」のようなものがどぶに捨てられ、すっかり「国」に寄り切られたというか。個人的にはその後、すっかりつまらない世の中になったなあと思います。

はい、1968年の今頃、私は東京にいて、実はよく覚えていないのですが、講堂の外がすでに騒がしい入学式にたぶんボイコットもせずに出て、でも、外の方が中より俄然、面白いやと気づいた頃だったのです。