2017年10月7日土曜日

ジュゴンの日 ジュゴンを救えスタンディング in NY

10月5日 Save Dugons ジュゴン・スタンディング in NY 総領事館前

ひと月ぶりにNYに帰ってみると紀子さんや志津子さんがジュゴン・ステンディングでやおら盛り上がっている。今日は10月5日。ジュゴンの日。ちなみに中秋の名月。いつのまにやら毎週の恒例になったスタンディングの3週目、パークアベニューの日本総領事館前にくりだすのだ。




今日はなんとサブローさんの三線も登場する豪華版。ウチナーグチで歌うのだ。志津子さんが作りまくった、持つの思いなあバナー、金魚さん作の空飛ぶジュゴンのパネルもある。そして、えへん、東京で「にもにも」(美ら海にもやんばるにも基地はいらない市民の会)の方からいただいてきた(というか、強奪してきた)ちびジュゴンのぬいぐるみもある。


ウチナーグチの歌が少々、調子っぱずれだって、ここはNY、わかるもんかい。というわけで、東京からたまたまいらした時差ボケとまんなかの高須さんや青野さん、仕事中にたちよったわかこさんや、ひでこさん、自転車でかけつけた明子さんなどの面々で、にぎやかにスタンディングが始まった。


なにしろ、大型でめだつバナーがならびまくっているので、道行く人の目にはいる。写真もたくさん、撮られました。「日本、大好き」のネパールの人、「知らなかった。トランプが悪い。この国も終わりよ」と憤慨して話しかけてくる中年の女性などなど。


バイクでランチの出前中だったみつあみの女のこは、「仕事中、前を通りかかったんだけど、なにかなあと気になって角まで行ってから戻ってきたの。ネットでいろいろみてるけど、環境のために皆さんがこんなにがんばっててくれてほんとにうれしい。ありがとう」とすなおーに感激してくれて、ほんと、よかった。


私は気がつかなかったけれど、領事館がはいっているビルで働くブルーカラーの人たちも手をふってくれてたのだそう。そんなの聴くと、なんだか心がくしゅんとうれしい。


スタンディングは、来週も続きます。














2017年10月5日木曜日

レポート:「今 自衛隊をどうする?」 オキナワ島嶼戦争――南西諸島への自衛隊配備 ~講師 軍事ジャーナリスト・小西誠

10月1日、京都で開かれた元反戦自衛官で軍事ジャーナリストの小西誠さんの5時間講演。先島で着々粛々と始められ、メディアの沈黙の中、ひっそりと進められようとしている自衛隊による軍事化。情報公開請求や現地での取材、米日の戦略の分析であらわにしていきます。
南西諸島への自衛隊の大配備計画、そしてその目的とされる「離島防衛作戦・上陸作戦」が初めて策定されたのは2000年、尖閣問題で日中関係が悪化するはるか前のことだといいます。冷戦の終結で長年の仮想敵国を失った防衛省・自衛隊は米軍ともども、その存在理由をかけて新しい敵を必要としていた。恰好な存在が中国でした。先島諸島への自衛艇の配備は、中国封じ込めを目的としており、自衛隊は「米軍、とりわけ沖縄駐留米軍の介入さえ極力避け」て「自衛隊主体の戦争」を想定していると小西さんは言います。日中間の緊張をあおってきたのは、誰なのか?

2017年10月1日日曜日

防衛省交渉「辺野古の工事、いまどうなっているの?」

Sept 30, 2017 メンツがそろった。抗議船船長でもある北上田毅さんが公共土木専門家の見識と情報開示で得た知識をいかして辺野古の工事の違法性をぐいぐいと攻め、福島みずほ議員が防衛省側の回答の弱みにここぞとばかりにくらいつき、山城博治さんがかぶりつきの席からがんをつける。9月28日、参議院議員会館講堂での防衛省交渉「辺野古の工事、いまどうなっているの?」、なかなかでした。


北上田さんの緻密なレポートは、ブログ「チョイさんの沖縄日記」やIWJ、FoE Japan のホームページでご覧いただけるので、ここでは、9月27日の市民集会と28日の防衛省交渉院内集会での山城博治さんの発言のハイライトをつまんで、ご報告。辺野古のいま、闘いのこれからが、わかります。

2017年9月26日火曜日

アミラ・ハス:金平茂紀との対話 ジャーナリストはなぜ、なにを、どのように伝えるのか? 

September 20, 2017

ジャーナリストの役割は、権力をモニターすることと発言し実践している、アミラ・ハスさん。その断固たる姿勢の活力となっているのは怒りだという。ハアレツ紙のスター記者であり、同紙の存続を支えているアミラさんだが、東京での講演の最後にあたる920日でのジャーナリズムをめぐる講演と対談で、招聘者である土井敏邦さんの紹介に、もちまえのチャーミングなユーモアでこたえて、話を始めた。







*権力をいらだたせる

アミラ:土井さんは、パレスチナとのつきあいが長い。話を大きくするパレスチナ人のくせがきっとうつってるに違いない。私のことをどんな風に紹介してくださったかわかりませんが、きっと話が大きくなってるんだろうなと思ってます。

26年前、ハアレツ紙にはじめは校閲記者として入社した。やがて、時折ガザに行って占領について書くようになった。最初に書いたのは、イスラエルの民政局について。そもそも民政局の役目はパレスチナ住民の世話をすることのはずなのだが、実際にはすっかりイスラエル軍の植民地政策の手先になっていた。が、当時のイスラエルのメディアでは、民政局が住民のためにこんな良いことをしたなど、民政局をもちあげる記事しか載せていなかった。そんな中で私は、実際は軍の一部でありイスラエル至上主義の施政をおこなっている民政局に対する住民の声をそのまま伝える記事を書いた。

2017年9月25日月曜日

アミラ・ハス:パレスチナと沖縄 ジャン・ユンカーマンとの対話

September 18, 2017

9月18日、アミラ・ハス東京講演2日目。その2(2/2)
アミラさんと『沖縄 うりずんの雨』のジャン・ユンカーマン監督との対話から、報告します。

沖縄の住民とパレスチナの人々とに共通する体験は?というアミラさん招へい者にしてこの日の司会者の土井敏邦さんの問いに、ユンカーマンさんは『沖縄 うりずんの雨』の英語版のタイトルに使ったことば”Afterburn”を引いて、語り始めた。

*癒えることを許されないトラウマ

ジャン・ユンカーマン:Afterburnとは、トラウマが、解消されない限り、傷がどんどん深くなっていく。これが沖縄の現状であり、沖縄にぴったりのことばだと思った。沖縄戦後、沖縄は米軍に占領され、絶えず戦闘機やヘリが飛び立ち、戦争が続いている。戦争から受けた傷が治らないまま続いているのが現状だ。アミラさんは、沖縄の人たちの戦争への新鮮な記憶に驚いたとおっしゃったが、距離をおいて過去と思えない状況がある。

過去ではなく現在もそうだという現実があり、辺野古・高江の反対運動には、そこから出る根強い決心がある。そうでなければ、20年もすわりこみが続くわけがない。



アミラ・ハス:パレスチナ人にとっても、ナクバは終わっていない。戦争後、回復する間もなく新たな襲撃にさらされ新しいトラウマを体験し、日り残酷な体験だ。というのも、確かに沖縄では事故や汚染、自然破壊、レイプをして当然と考える米兵の存在にさらされているが、現在、日常的な攻撃にさらされているわけではない。パレスチナの人々は、日常的に攻撃の対象とされていて、Routine of catastrophy 、すなわち、災厄が日常化している。もともと、catastrophyは一回性の例外的なできごととしての災厄を意味するので、routine ということばとの組み合わせにはそぐわないはずなのだが、副産物ではなく意図的な目的のもとに攻撃がおこなわれている。

*権力の構造がもつ普遍性

アミラ:パレスチナで起きていることは確かに極端な例だ。ではあるものの、アメリカやインド、アフリカなど世界のいたるところで貧困な地域社会で暮らす人々が体験している現実のメタファーといえるのではないかという思いもある。たとえ、民族紛争や植民地紛争のただなかに身を置いていなくても、貧困なコミュニティの人たちは権力の道具にされ、トラウマに次ぐトラウマのただ中で生きている。

*暴力と屈辱

ユンカーマン:屈辱を目的に暴力が行使されている。暴力は爆撃などの物理的効果ばかりでなく、せっかく建てた家をつぶされたり、大事に育てたオリーブの木を根こそぎにされるなど、精神的で屈辱的なダメージをおこす目的でふるわれる。パレスチナ人に消えてほしいから、殺せない限り、追い出すことが目的だ。絶望的な敵対関係が続いている。パレスチナも沖縄も占領だが、比べることは難しい。とはいうものの、アミラさんが、言うように、イスラエルが行っていることを、あまりにも特異でほかに例がない、比較ができないもの(exceptionalism)としない方がよい。

*支配の二重構造

ユンカーマン:パレスチナと沖縄の現状の共通点として、権力・支配の二重構造があげられる。1993年のオスロ合意により、27年間の占領から解放され、ガザでもある程度の自治権が認められて、イスラエル軍による直接の支配ではなく、パレスチナ自治政府を通してイスラエルに支配されるようになった。

沖縄では、1972年の本土復帰後、さまざまなことを日本政府が決めることになった。沖縄の人たちは、復帰までは米軍に対して直接、抗議を行っていたが、いまでは直接、抗議ができなくなり、動きにくくなった。米軍は、日本を守るためではなく自分たちの戦略のために駐留し、力で勝ち取った沖縄に居続ける特権があると思い込んでいる。日本政府は、日米安保のため米軍基地を必要とし、日本の大半の人たちの目からは見えない遠い地、沖縄に基地を置くことを好都合だと考えている。そこには、沖縄を植民地のように見る、沖縄差別も介在している。米軍に基地撤廃を訴えても日本の国内問題だと言われ、日本政府に訴えれば、アメリカの言い分には逆らえないといわれ、対する相手がみつからない。亡くなった大田昌秀元知事は亡くなる前、復帰は間違いだったかもしれないと口にしていた。

*ぜいたくな占領

アミラ:とても鋭い重要な指摘だ。いまのイスラエルの占領は、「ぜいたくな占領」といわれている。かつてパレスチナを直接、占領していたときには、イスラエルには占領者としての義務を課されていた。だが、オスロ合意後は、パレスチナ自治政府(PA)には、海外からの支援がなされている。世界に占領の費用を負担してもらうという構造を手にすることに成功したのだ。

しかも、本来なら、パレスチナ人民の権利を代弁するはずのパレスチナ自治政府は、イスラエルの権威を代弁し、パレスチナ人にそれを押し付けるようになっている。たとえば、水の分配は非常に不公平で、ある調査でわかったことだが、たとえば、イスラエルとパレスチナ自治政府との共同プロジェクトで、人口500人のイスラエル人入植地に直径12インチの水道管が使われるのに対し、人口2000人のパレスチナ人の村には、直径6インチや3インチの水道管しか敷かれない。自治政府は、12センチの水道管をリクエストしてもイスラエルが拒否するに違いないとそんたくして、ないよりはましだと、最初から3インチや6インチの水道管しか求めていなかった。一事が万事、そんな具合で、イスラエルの立場に立っている。

ユンカーマン:日本の「思いやり予算」に通じる。日本政府も、住民の声を聴かず、米軍の意図をそんたくしして動いている。

*問う伝統

「裏切り者」「非国民」との攻撃を受けても自国の加害を国外に向けて伝え続けることがなぜできるのか、という土井さんの問いにこたえて。
アミラ:権力を批判することは、ジャーナリストのごくごく基本的な存在理由だ。権力は、社会をコントロールし力を濫用しようとするものだ。それを批判することができないのなら、ジャーナリストである意味はない。

またユダヤ人には、問う伝統があり、権力に対決し挑戦することは私たちにとっては自然なふるまいだ。
また、たとえ購読者を失いかねないような内容であって、記者に報道する自由を認める「ハアレツ」紙で仕事できるは大変、幸運なことだ。
私は、アパルトヘイト下の南アフリカでの白人ジャーナリストなどのようないのちの危険をおかしているわけではない。ヒーローでは、ないんですよ。

アミラ・ハス:沖縄取材を終えて

Sept 18, 2017

アミラ・ハスの東京講演2日目。その1(1/2)


この日のテーマは、「パレスチナと日本」。特に沖縄での4日間の取材を終えたばかりのアミラさんに、「沖縄とパレスチナの共通点」「加害国の人間が、自国の加害を伝えていくことの意味」を語ってもらうことが、主催者である土井敏邦さんからの問いかけだった。この日は「沖縄 うりずんの雨」の一部上映、森住卓さんの「辺野古・高江の現状報告」に続いて、アミラさんの沖縄報告、ユンカーマンさんとの対話が行われました。


まずは、アミラさんの沖縄報告から。9月11日から15日まで4泊5日の沖縄でアミラさんがあってインタビュー取材を行った相手は、以下の通り。

1)佐喜眞美術館の館長 佐喜眞道夫さん。佐喜眞美術館は丸木位里・丸木俊の共同制作「沖縄戦の図」が常設されており、普天間基地に向けておへそのように飛び出して隣接する地に位置しています。この地への設立を実現するまでのいきさつの説明もあったようです。
2)高里鈴代さん。基地をめぐり沖縄での米兵による性暴力の歴史
3)知花昌一さん。チビチリガマを一緒に訪れて、くしくもチビチリガマ荒らしの第一発見者のひとりになりました。
4)金城実さん。読谷にお住まいの彫刻家。アミラさん、すっかり興味をもたれてインタビューは予定を大幅にこえて、翌日におよんだそう。わかるよなあ、その気持ち。
5)反戦地主の池原秀明さん。
6)辺野古の金城武政さん。お母さんを米兵に殺害された金城さんは、辺野古の新基地建設反対活動の中心的人物です。
7)高江の伊佐真次さん。高江住民でヘリパッド建設に反対。現在、村議会議員です。
8)辺野古商工会議所の飯田昭弘さん。容認派の声もぜひ聴きたいというアミラさんの要望で取材実現。

アミラ・ハス:パレスチナ占領50年

Sept 17, 2017

東京での講演会。1日目
東京大学での講演会で

これがあるから泣く泣く沖縄から帰ってきた。闘うジャーナリスト、アミラ・ハスさんの東京での2日続きの講演会の初日。アミラさんは、イスラエル人でありながら、そしてイスラエル人であるゆえに、1993年からガザ、1997年からは西岸のラマラに住み、パレスチナ占領の現地から報道するパレスチナ報道の第一人者として高い尊敬を集めている人物だ。

ハアレツ紙の記者になる前には、「労働者ホットライン」というNGOで仕事し、搾取されているパレスチナ人労働者の権利行使を支援していたアミラ。「客観的な報道はない」と言い切る。特にパレスチナ占領を行っている自国について報道するイスラエル人ジャーナリストだからこそ、自分の意見をもち、自分の世界観を出し、正直であるべきだという。社会に対する自分の責任をつきつめる。真髄はアクティビストなのだ。