Aug 9, 2018
翁長さん逝去の悲報がはいった翌日、朝早くからいつもより多くの人たちが辺野古ゲートにやって来た。
「ひとりではとても耐えられないつらい報せを受け、人々は悲しみと衝撃をほかの人とわかちあい励ましあうためにテントにやってきてるんだと思います。今日のすわりこみは翁長さん追悼の集まりでもあります」と山城博治さん。
あるテレビ局のインタビューに応え県民が受けた衝撃について博治さんが「琉球処分で国のトップを突然、東京に連れ去られた後の、支柱を失った人々の茫然とした思いを思い浮かべました」とコメントしているのも、もれ聞こえた。
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その後、博治さんからアメリカの支援者向けにもビデオメッセージをいただき、大感激。
翁長知事が進めていた埋立承認撤回の前に、事業者である沖縄防衛局の反論を聞く聴聞は、防衛局側が期日の延期を求めていたが県がそれを認めず、この日、午後行われて終結し、県が実際の撤回処分に踏み切る体制がさらに進んだ。
17日に国が宣言している「土砂投入開始」がどうなるのか、国の戦略がみえないまま、お盆休みがまもなく始まる。
午後4時に国道局が、ゲート前、すわりこみの妨害になっているバリロードとよばれる国道と歩道との間の隔壁に関する要望書への回答を出すということだったので、すわりこみ後、防衛局前に移動。
博治さんを含め代表20名と局との面談が行われたが、国道局は防衛局の言い分のおうむ返しのように繰り返しただけだったようで、面談は長引いた。
防衛局のロビーで報告をまっていると、作業エプロンをつけたままの金城実さんがかけつけて、翁長さんを失ったいま、どう考えどうすべきか、沖縄の歴史をいき表現してきた軌跡をふまえてマイクをとり、集まっていた皆に活をいれた。
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