乗りたい人がどっさり訪れたので、北上田さんの「平和丸」と2隻にわかれて、漁港から出発。アメリカの海外米軍基地反対連合(Coalition Against US Foreign Military Bases)から預かってきたジュゴンのはいった沖縄反基地バナーを船にかけさせていただいて、ここでもアメリカで反戦平和・反基地に心と活動をよせる大勢の人たちの声を海と空に向かって送り届けました。
第2工区は先週、ふさがれてしまい、前日の7日に被覆ブロックの設置も終了してしまったので、カヌー隊はこれまでのようにフェンスを越えては排除され、また挑むという、鈴木公子さんのことばを借りればシジフォスのような闘いができなくなっている。
それでも、颯爽と波を切って進み、オイルフェンスにまたがて抗議のプラカードをつきつける姿は、颯爽としてほれぼれと美しい。
海保のゴムボートが浮かび、工事現場や射撃訓練ではげた山、基地の建物が並ぶ岸側があるからよけいに、緑の島、どこまでの青い海、場所によっては海底がすぐ近くにみえてしまう透き通った水、海側の景色がなおさらいとおしく、こんな美ら海を壊すなんてと、信じられない思いがする。
5メートルのさんががあるところまで連れていっていただき、のぞきめがねで見ると、強烈に青い小さな魚たちがすいすい及びまくり、心が洗われるよう。
船を降り、ゲート前に行ってみると、高里鈴代さんがきれいな声で「友よ」を歌い始めていた。
ベテランズ・フォー・ピースROCのダグラス・ラミスさんは8月末のアメリカでのVFP総会に向け、アメリカへの沖縄反基地アピール戦略を語り、いじらしいくらいに謙虚でかわいらしく代表派遣のカンパをつのった。
やっぱりこの日もこなかった建設資材搬入トラック。
うれしいようあキツネにつままれたような、どこか拍子ぬけした感じですわりこみが散会した後、激震がやってきた。
まずは、翁長知事、意識混濁。辞職の速報。辞職の報道はいさみ足ではという話が出始めてからほんの数時間もたたないうちに、逝去の報せ。このとき、どこで逝去の報を知ったか、大勢の人たちが忘れることのできない、トラウマになって残るだろう。私は、その時、ひとりでなかったこと、沖縄と命を思うすてきな人たちと一緒に悲しいしらせを受け止められたことをとても感謝している。
この日がこんな風に終わるなんて、いったい誰が予測しただろう。
辺野古でこの時を迎えたことは、とんでもなく重く、悲しいことだった。ほんの数ヶ月前にワシントンでのシンポジウムでやせた知事の安否を皆で心配しながら、仲間たちと思い切ってあいさつに行き、「選挙がんばってください」と言い、握手していただいたときの、なんとも嬉しそうだった翁長さんの顔、そして会場のホテル前で辺野古基地反対の巨大なバナーをもってスタンディングしていた私たちに去っていく車の中から手を降ってこたえてくれたときの私たちのうれしさ。
翁長さん、道半ばでさぞ悔しかっただろう、その思いを私達は無にはできない。苦しかっただろうにがんばってくれてありがとう、どうぞ、天から皆を見守り叱咤激励してください。
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