【Part3:カリフォルニア大学の学生・院 ゲート前テント訪問】
この日のハイライトは、カリフォルニア大学サンタ・クルーズ校の学生・院生など総勢20数名からなるリサーチ・チームのゲート前テント訪問でした。
日本語が堪能なアラン・クリスティ先生との対話の中で山城博治さんは、ベトナム戦争時の沖縄をこう語りました。
「私たち沖縄ではある意味、アメリカ文化の中で育ったようなところがあります。ベトナム戦争時代にはB5が飛び、いつ死ぬかもわからない若い米兵たちは荒れ、町では喧嘩がたえませんでした。ある意味、アメリカ社会の中で一番、弱い立場に立たされた人たちをかいまみた気もしました。フェンス前で、私がジョーン・バエズの歌を歌うとフェンスの向こう側から拍手が聞こえる、そんなこともありました」そして、皆と一緒に、We Shall Overcome を歌いました。
日本語が堪能なアラン・クリスティ先生との対話の中で山城博治さんは、ベトナム戦争時の沖縄をこう語りました。
「私たち沖縄ではある意味、アメリカ文化の中で育ったようなところがあります。ベトナム戦争時代にはB5が飛び、いつ死ぬかもわからない若い米兵たちは荒れ、町では喧嘩がたえませんでした。ある意味、アメリカ社会の中で一番、弱い立場に立たされた人たちをかいまみた気もしました。フェンス前で、私がジョーン・バエズの歌を歌うとフェンスの向こう側から拍手が聞こえる、そんなこともありました」そして、皆と一緒に、We Shall Overcome を歌いました。
長年、辺野古反基地運動にかかわってきた浦島悦子さんは、「やめようかと悩んだこともあるけれど、次の世代のため、また地球のために闘い続けることが私たちの責任だと思っています」述べました。
リサーチ・チームのひとりで博士課程の大学院生、ドリュー・リチャードソンさんに話を聞いてみました。米軍占領下で伊江島に米軍放送の強力な基地が作られ、おかげで民家に火がついたり音波障害がおき、住民に大被害が起きた歴史的できごとを研究しているとのことで、ゲート前に来て空と陸から聞こえる音で基地の存在を実感した、また20年も続く人々の粘り強い抵抗にあらためて深い感銘を覚えたと語ってくれました。
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