お祭りを見るなんてもう何年ぶりのことだろう。しかも、ここは辺野古。8月19日の日曜日、旧盆も間近。日頃はひっそりしている辺野古の道には、帰省した人も多いのだろうか、車がぎっしり注射して、会場の辺野古グラウンドは、922世帯、人口1799人(平和委18年)の全員が繰り出した{?}とすら思われる人波でにぎわった。
辺野古大綱引。恒例の豊年祭。お弁当や飲み物を買いに行く辺野古の売店に張られた立派なポスターを気にしていたら、お店の方が「3年に1度しか、ないんですよ。ぜひ、ご覧になってください」と、熱い。ポスターの出し物には、米海兵隊バンドショーも並んでいる。行ってみなくちゃ。
18日の前夜祭、
19日の綱引と2日続きの夏の大イベント。19日の夕暮れ、海が見えるグラウンドに行ってみると、立派な舞台が設置され、大綱も子ども神輿もぴかぴか。大綱に清めの塩がまかれ、子どもたちは「わっしょい、わっしょい」のかけ声を元気にリハーサル中。屋台の品書きに英語でドル立て表記もあるのが、珍しい。
少人数のグループでやって来た海兵隊の兵士たちもいるけれど、辺野古近辺でみかける時と同じように、皆、どこか途方に暮れてる雰囲気で無表情。土地の人に話しかけられるでも、話しかけるでもなく、「なんだか沖縄に連れてこられてしまったなあ、僕たち、私たち。ここでは僕たち、はじき出されはしないけど、めっちゃ歓迎されてもいないなあ」的に所在なく、ちんまりとたむろっている。そんな彼らに「写真撮ってもいい?」と声をかけると、ようやく「自分」を取り戻し、ひどくうれしそうな顔になる。故郷でのお祭りや遺してきた家族のことを思ったりしていたのかもしれない。
可愛い子ども神輿の後、花火があがったが、夕飯を食べていて、これは見逃し。「この祭り、金がかかってるなあ」、というのが、見た友達全員の意見。誰かが、あるいはどこかから金が出ているからには、もちろん、政治的思惑の仕掛けがもくろまれているのは、まず、間違いない。そうしたせめぎ合いの中での辺野古の人たちの暮らしであり、祭りなのだ。
だからこそ、祭りの特別来賓は、選挙中、基地にまったく触れなかった渡具知現名護市長と防衛局局長だし、おそらく退役米軍兵士なのか、日本語に合わせて英語での司会・解説が終始一貫、付けられている。基地と地域との交流・友好的共存が米軍にとっても日本政府にとっても、おススメだ。地域の長い伝統をことほぐはずの祭りにも、辺野古のいま、が映し出されている。
技のある少年たちに見ほれてしまったエイサー、火のついた藁束を抱えて青年たちが駆け巡る縁起ものの「デビーガーエー」の後、いよいよメインイベントの大綱引き。巨大な綱を大勢で引き合うこの神事には米兵も参加して、この時ばかりは体力使い切って心底、楽しんだもよう。
入念に編まれた綱は、綱引き後、ぶつぶつと切られ、参加者たちのみやげものに。お守りになるらしまれた綱は、綱引き後、ぶつぶつと切られ、参加者たちのみやげものに。お守りになるらしい。祭りを楽しむ子どもたちの笑顔はそこぬけに明るく、子ども時代の楽しかったひとときとして忘れられない思い出が刻まれたに違いない。
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