ナビサレ村のアヘド・タミミがイスラエル軍に逮捕された。16歳の女の子。2016年に訪れたナビサレ村は人口600人の小さな村。毎週金曜日に時には海外からも支援者がやって来る抗議デモで知られていた。私はその夏の一夜、インターフェース・ピースビルダーというパレスチナ支援グループにまじって一晩タミミ家に泊めていただいたのだが、その頃、タミミ一族がリーダーとして続けていた非暴力デモは、停止されたばかりだった。タミミ家の居間のテーブルには、イスラエル軍が使用しているさまざまな武器の弾丸が置かれていたが、軍の武器使用があまりにも危険になってきたので、抗議を一時停止せざるをえなくなったと、アヘッドのお母さんのナリマンが話してくれた。
2017年12月20日水曜日
2017年11月11日土曜日
ビリン村のイヤード・ブルナート:暴力に走れば、イスラエルの思うつぼ
辺野古基地建設反対のバナーに、パレスチナのイヤード・ブルナートさんが、支援のサインをしてくれました。「I love
fighters」と、イヤードさん。
イヤード・ブルナートさんは、ドキュメンタリー映画『壊された5つのカメラ』(イヤードさんの兄のイマードさんが監督のひとり)などでもおなじみのビリン村で生まれ育ちました。2004年、パレスチナの地に強引に作ったイスラエルの入植地の入植者の安全を守るためという名目で、ビリンの畑の6割を村人の住居から隔絶する壁が建設され、村人が大切に育て、生活の糧としてきたオリーブの樹が1000本、引き抜かれたり、焼かれたりという暴挙が起きました。2005年9月、イヤードさんたちは、非暴力抵抗運動を開始し、2007年、ついにイスラエル最高裁からすでに立っていた壁を撤去し、村人に畑が戻る形で移動せよという判決を出させることに成功しました。
2017年9月26日火曜日
アミラ・ハス:金平茂紀との対話 ジャーナリストはなぜ、なにを、どのように伝えるのか?
September 20, 2017
ジャーナリストの役割は、権力をモニターすることと発言し実践している、アミラ・ハスさん。その断固たる姿勢の活力となっているのは怒りだという。ハアレツ紙のスター記者であり、同紙の存続を支えているアミラさんだが、東京での講演の最後にあたる9月20日でのジャーナリズムをめぐる講演と対談で、招聘者である土井敏邦さんの紹介に、もちまえのチャーミングなユーモアでこたえて、話を始めた。
ジャーナリストの役割は、権力をモニターすることと発言し実践している、アミラ・ハスさん。その断固たる姿勢の活力となっているのは怒りだという。ハアレツ紙のスター記者であり、同紙の存続を支えているアミラさんだが、東京での講演の最後にあたる9月20日でのジャーナリズムをめぐる講演と対談で、招聘者である土井敏邦さんの紹介に、もちまえのチャーミングなユーモアでこたえて、話を始めた。
*権力をいらだたせる
アミラ:土井さんは、パレスチナとのつきあいが長い。話を大きくするパレスチナ人のくせがきっとうつってるに違いない。私のことをどんな風に紹介してくださったかわかりませんが、きっと話が大きくなってるんだろうなと思ってます。
26年前、ハアレツ紙にはじめは校閲記者として入社した。やがて、時折ガザに行って占領について書くようになった。最初に書いたのは、イスラエルの民政局について。そもそも民政局の役目はパレスチナ住民の世話をすることのはずなのだが、実際にはすっかりイスラエル軍の植民地政策の手先になっていた。が、当時のイスラエルのメディアでは、民政局が住民のためにこんな良いことをしたなど、民政局をもちあげる記事しか載せていなかった。そんな中で私は、実際は軍の一部でありイスラエル至上主義の施政をおこなっている民政局に対する住民の声をそのまま伝える記事を書いた。
2017年9月25日月曜日
アミラ・ハス:パレスチナと沖縄 ジャン・ユンカーマンとの対話
September 18, 2017
9月18日、アミラ・ハス東京講演2日目。その2(2/2)
アミラさんと『沖縄 うりずんの雨』のジャン・ユンカーマン監督との対話から、報告します。
沖縄の住民とパレスチナの人々とに共通する体験は?というアミラさん招へい者にしてこの日の司会者の土井敏邦さんの問いに、ユンカーマンさんは『沖縄 うりずんの雨』の英語版のタイトルに使ったことば”Afterburn”を引いて、語り始めた。
*癒えることを許されないトラウマ
ジャン・ユンカーマン:Afterburnとは、トラウマが、解消されない限り、傷がどんどん深くなっていく。これが沖縄の現状であり、沖縄にぴったりのことばだと思った。沖縄戦後、沖縄は米軍に占領され、絶えず戦闘機やヘリが飛び立ち、戦争が続いている。戦争から受けた傷が治らないまま続いているのが現状だ。アミラさんは、沖縄の人たちの戦争への新鮮な記憶に驚いたとおっしゃったが、距離をおいて過去と思えない状況がある。
過去ではなく現在もそうだという現実があり、辺野古・高江の反対運動には、そこから出る根強い決心がある。そうでなければ、20年もすわりこみが続くわけがない。
アミラ・ハス:パレスチナ人にとっても、ナクバは終わっていない。戦争後、回復する間もなく新たな襲撃にさらされ新しいトラウマを体験し、日り残酷な体験だ。というのも、確かに沖縄では事故や汚染、自然破壊、レイプをして当然と考える米兵の存在にさらされているが、現在、日常的な攻撃にさらされているわけではない。パレスチナの人々は、日常的に攻撃の対象とされていて、Routine of catastrophy 、すなわち、災厄が日常化している。もともと、catastrophyは一回性の例外的なできごととしての災厄を意味するので、routine ということばとの組み合わせにはそぐわないはずなのだが、副産物ではなく意図的な目的のもとに攻撃がおこなわれている。
*権力の構造がもつ普遍性
アミラ:パレスチナで起きていることは確かに極端な例だ。ではあるものの、アメリカやインド、アフリカなど世界のいたるところで貧困な地域社会で暮らす人々が体験している現実のメタファーといえるのではないかという思いもある。たとえ、民族紛争や植民地紛争のただなかに身を置いていなくても、貧困なコミュニティの人たちは権力の道具にされ、トラウマに次ぐトラウマのただ中で生きている。
*暴力と屈辱
ユンカーマン:屈辱を目的に暴力が行使されている。暴力は爆撃などの物理的効果ばかりでなく、せっかく建てた家をつぶされたり、大事に育てたオリーブの木を根こそぎにされるなど、精神的で屈辱的なダメージをおこす目的でふるわれる。パレスチナ人に消えてほしいから、殺せない限り、追い出すことが目的だ。絶望的な敵対関係が続いている。パレスチナも沖縄も占領だが、比べることは難しい。とはいうものの、アミラさんが、言うように、イスラエルが行っていることを、あまりにも特異でほかに例がない、比較ができないもの(exceptionalism)としない方がよい。
*支配の二重構造
ユンカーマン:パレスチナと沖縄の現状の共通点として、権力・支配の二重構造があげられる。1993年のオスロ合意により、27年間の占領から解放され、ガザでもある程度の自治権が認められて、イスラエル軍による直接の支配ではなく、パレスチナ自治政府を通してイスラエルに支配されるようになった。
沖縄では、1972年の本土復帰後、さまざまなことを日本政府が決めることになった。沖縄の人たちは、復帰までは米軍に対して直接、抗議を行っていたが、いまでは直接、抗議ができなくなり、動きにくくなった。米軍は、日本を守るためではなく自分たちの戦略のために駐留し、力で勝ち取った沖縄に居続ける特権があると思い込んでいる。日本政府は、日米安保のため米軍基地を必要とし、日本の大半の人たちの目からは見えない遠い地、沖縄に基地を置くことを好都合だと考えている。そこには、沖縄を植民地のように見る、沖縄差別も介在している。米軍に基地撤廃を訴えても日本の国内問題だと言われ、日本政府に訴えれば、アメリカの言い分には逆らえないといわれ、対する相手がみつからない。亡くなった大田昌秀元知事は亡くなる前、復帰は間違いだったかもしれないと口にしていた。
*ぜいたくな占領
アミラ:とても鋭い重要な指摘だ。いまのイスラエルの占領は、「ぜいたくな占領」といわれている。かつてパレスチナを直接、占領していたときには、イスラエルには占領者としての義務を課されていた。だが、オスロ合意後は、パレスチナ自治政府(PA)には、海外からの支援がなされている。世界に占領の費用を負担してもらうという構造を手にすることに成功したのだ。
しかも、本来なら、パレスチナ人民の権利を代弁するはずのパレスチナ自治政府は、イスラエルの権威を代弁し、パレスチナ人にそれを押し付けるようになっている。たとえば、水の分配は非常に不公平で、ある調査でわかったことだが、たとえば、イスラエルとパレスチナ自治政府との共同プロジェクトで、人口500人のイスラエル人入植地に直径12インチの水道管が使われるのに対し、人口2000人のパレスチナ人の村には、直径6インチや3インチの水道管しか敷かれない。自治政府は、12センチの水道管をリクエストしてもイスラエルが拒否するに違いないとそんたくして、ないよりはましだと、最初から3インチや6インチの水道管しか求めていなかった。一事が万事、そんな具合で、イスラエルの立場に立っている。
ユンカーマン:日本の「思いやり予算」に通じる。日本政府も、住民の声を聴かず、米軍の意図をそんたくしして動いている。
*問う伝統
「裏切り者」「非国民」との攻撃を受けても自国の加害を国外に向けて伝え続けることがなぜできるのか、という土井さんの問いにこたえて。
アミラ:権力を批判することは、ジャーナリストのごくごく基本的な存在理由だ。権力は、社会をコントロールし力を濫用しようとするものだ。それを批判することができないのなら、ジャーナリストである意味はない。
またユダヤ人には、問う伝統があり、権力に対決し挑戦することは私たちにとっては自然なふるまいだ。
また、たとえ購読者を失いかねないような内容であって、記者に報道する自由を認める「ハアレツ」紙で仕事できるは大変、幸運なことだ。
私は、アパルトヘイト下の南アフリカでの白人ジャーナリストなどのようないのちの危険をおかしているわけではない。ヒーローでは、ないんですよ。
9月18日、アミラ・ハス東京講演2日目。その2(2/2)
アミラさんと『沖縄 うりずんの雨』のジャン・ユンカーマン監督との対話から、報告します。
沖縄の住民とパレスチナの人々とに共通する体験は?というアミラさん招へい者にしてこの日の司会者の土井敏邦さんの問いに、ユンカーマンさんは『沖縄 うりずんの雨』の英語版のタイトルに使ったことば”Afterburn”を引いて、語り始めた。
*癒えることを許されないトラウマ
ジャン・ユンカーマン:Afterburnとは、トラウマが、解消されない限り、傷がどんどん深くなっていく。これが沖縄の現状であり、沖縄にぴったりのことばだと思った。沖縄戦後、沖縄は米軍に占領され、絶えず戦闘機やヘリが飛び立ち、戦争が続いている。戦争から受けた傷が治らないまま続いているのが現状だ。アミラさんは、沖縄の人たちの戦争への新鮮な記憶に驚いたとおっしゃったが、距離をおいて過去と思えない状況がある。
過去ではなく現在もそうだという現実があり、辺野古・高江の反対運動には、そこから出る根強い決心がある。そうでなければ、20年もすわりこみが続くわけがない。
アミラ・ハス:パレスチナ人にとっても、ナクバは終わっていない。戦争後、回復する間もなく新たな襲撃にさらされ新しいトラウマを体験し、日り残酷な体験だ。というのも、確かに沖縄では事故や汚染、自然破壊、レイプをして当然と考える米兵の存在にさらされているが、現在、日常的な攻撃にさらされているわけではない。パレスチナの人々は、日常的に攻撃の対象とされていて、Routine of catastrophy 、すなわち、災厄が日常化している。もともと、catastrophyは一回性の例外的なできごととしての災厄を意味するので、routine ということばとの組み合わせにはそぐわないはずなのだが、副産物ではなく意図的な目的のもとに攻撃がおこなわれている。
*権力の構造がもつ普遍性
アミラ:パレスチナで起きていることは確かに極端な例だ。ではあるものの、アメリカやインド、アフリカなど世界のいたるところで貧困な地域社会で暮らす人々が体験している現実のメタファーといえるのではないかという思いもある。たとえ、民族紛争や植民地紛争のただなかに身を置いていなくても、貧困なコミュニティの人たちは権力の道具にされ、トラウマに次ぐトラウマのただ中で生きている。
*暴力と屈辱
ユンカーマン:屈辱を目的に暴力が行使されている。暴力は爆撃などの物理的効果ばかりでなく、せっかく建てた家をつぶされたり、大事に育てたオリーブの木を根こそぎにされるなど、精神的で屈辱的なダメージをおこす目的でふるわれる。パレスチナ人に消えてほしいから、殺せない限り、追い出すことが目的だ。絶望的な敵対関係が続いている。パレスチナも沖縄も占領だが、比べることは難しい。とはいうものの、アミラさんが、言うように、イスラエルが行っていることを、あまりにも特異でほかに例がない、比較ができないもの(exceptionalism)としない方がよい。
*支配の二重構造
ユンカーマン:パレスチナと沖縄の現状の共通点として、権力・支配の二重構造があげられる。1993年のオスロ合意により、27年間の占領から解放され、ガザでもある程度の自治権が認められて、イスラエル軍による直接の支配ではなく、パレスチナ自治政府を通してイスラエルに支配されるようになった。
沖縄では、1972年の本土復帰後、さまざまなことを日本政府が決めることになった。沖縄の人たちは、復帰までは米軍に対して直接、抗議を行っていたが、いまでは直接、抗議ができなくなり、動きにくくなった。米軍は、日本を守るためではなく自分たちの戦略のために駐留し、力で勝ち取った沖縄に居続ける特権があると思い込んでいる。日本政府は、日米安保のため米軍基地を必要とし、日本の大半の人たちの目からは見えない遠い地、沖縄に基地を置くことを好都合だと考えている。そこには、沖縄を植民地のように見る、沖縄差別も介在している。米軍に基地撤廃を訴えても日本の国内問題だと言われ、日本政府に訴えれば、アメリカの言い分には逆らえないといわれ、対する相手がみつからない。亡くなった大田昌秀元知事は亡くなる前、復帰は間違いだったかもしれないと口にしていた。
*ぜいたくな占領
アミラ:とても鋭い重要な指摘だ。いまのイスラエルの占領は、「ぜいたくな占領」といわれている。かつてパレスチナを直接、占領していたときには、イスラエルには占領者としての義務を課されていた。だが、オスロ合意後は、パレスチナ自治政府(PA)には、海外からの支援がなされている。世界に占領の費用を負担してもらうという構造を手にすることに成功したのだ。
しかも、本来なら、パレスチナ人民の権利を代弁するはずのパレスチナ自治政府は、イスラエルの権威を代弁し、パレスチナ人にそれを押し付けるようになっている。たとえば、水の分配は非常に不公平で、ある調査でわかったことだが、たとえば、イスラエルとパレスチナ自治政府との共同プロジェクトで、人口500人のイスラエル人入植地に直径12インチの水道管が使われるのに対し、人口2000人のパレスチナ人の村には、直径6インチや3インチの水道管しか敷かれない。自治政府は、12センチの水道管をリクエストしてもイスラエルが拒否するに違いないとそんたくして、ないよりはましだと、最初から3インチや6インチの水道管しか求めていなかった。一事が万事、そんな具合で、イスラエルの立場に立っている。
ユンカーマン:日本の「思いやり予算」に通じる。日本政府も、住民の声を聴かず、米軍の意図をそんたくしして動いている。
*問う伝統
「裏切り者」「非国民」との攻撃を受けても自国の加害を国外に向けて伝え続けることがなぜできるのか、という土井さんの問いにこたえて。
アミラ:権力を批判することは、ジャーナリストのごくごく基本的な存在理由だ。権力は、社会をコントロールし力を濫用しようとするものだ。それを批判することができないのなら、ジャーナリストである意味はない。
またユダヤ人には、問う伝統があり、権力に対決し挑戦することは私たちにとっては自然なふるまいだ。
また、たとえ購読者を失いかねないような内容であって、記者に報道する自由を認める「ハアレツ」紙で仕事できるは大変、幸運なことだ。
私は、アパルトヘイト下の南アフリカでの白人ジャーナリストなどのようないのちの危険をおかしているわけではない。ヒーローでは、ないんですよ。
アミラ・ハス:沖縄取材を終えて
Sept 18, 2017
アミラ・ハスの東京講演2日目。その1(1/2)
この日のテーマは、「パレスチナと日本」。特に沖縄での4日間の取材を終えたばかりのアミラさんに、「沖縄とパレスチナの共通点」「加害国の人間が、自国の加害を伝えていくことの意味」を語ってもらうことが、主催者である土井敏邦さんからの問いかけだった。この日は「沖縄 うりずんの雨」の一部上映、森住卓さんの「辺野古・高江の現状報告」に続いて、アミラさんの沖縄報告、ユンカーマンさんとの対話が行われました。
まずは、アミラさんの沖縄報告から。9月11日から15日まで4泊5日の沖縄でアミラさんがあってインタビュー取材を行った相手は、以下の通り。
1)佐喜眞美術館の館長 佐喜眞道夫さん。佐喜眞美術館は丸木位里・丸木俊の共同制作「沖縄戦の図」が常設されており、普天間基地に向けておへそのように飛び出して隣接する地に位置しています。この地への設立を実現するまでのいきさつの説明もあったようです。
2)高里鈴代さん。基地をめぐり沖縄での米兵による性暴力の歴史
3)知花昌一さん。チビチリガマを一緒に訪れて、くしくもチビチリガマ荒らしの第一発見者のひとりになりました。
4)金城実さん。読谷にお住まいの彫刻家。アミラさん、すっかり興味をもたれてインタビューは予定を大幅にこえて、翌日におよんだそう。わかるよなあ、その気持ち。
5)反戦地主の池原秀明さん。
6)辺野古の金城武政さん。お母さんを米兵に殺害された金城さんは、辺野古の新基地建設反対活動の中心的人物です。
7)高江の伊佐真次さん。高江住民でヘリパッド建設に反対。現在、村議会議員です。
8)辺野古商工会議所の飯田昭弘さん。容認派の声もぜひ聴きたいというアミラさんの要望で取材実現。
アミラ・ハスの東京講演2日目。その1(1/2)
この日のテーマは、「パレスチナと日本」。特に沖縄での4日間の取材を終えたばかりのアミラさんに、「沖縄とパレスチナの共通点」「加害国の人間が、自国の加害を伝えていくことの意味」を語ってもらうことが、主催者である土井敏邦さんからの問いかけだった。この日は「沖縄 うりずんの雨」の一部上映、森住卓さんの「辺野古・高江の現状報告」に続いて、アミラさんの沖縄報告、ユンカーマンさんとの対話が行われました。
まずは、アミラさんの沖縄報告から。9月11日から15日まで4泊5日の沖縄でアミラさんがあってインタビュー取材を行った相手は、以下の通り。
1)佐喜眞美術館の館長 佐喜眞道夫さん。佐喜眞美術館は丸木位里・丸木俊の共同制作「沖縄戦の図」が常設されており、普天間基地に向けておへそのように飛び出して隣接する地に位置しています。この地への設立を実現するまでのいきさつの説明もあったようです。
2)高里鈴代さん。基地をめぐり沖縄での米兵による性暴力の歴史
3)知花昌一さん。チビチリガマを一緒に訪れて、くしくもチビチリガマ荒らしの第一発見者のひとりになりました。
4)金城実さん。読谷にお住まいの彫刻家。アミラさん、すっかり興味をもたれてインタビューは予定を大幅にこえて、翌日におよんだそう。わかるよなあ、その気持ち。
5)反戦地主の池原秀明さん。
6)辺野古の金城武政さん。お母さんを米兵に殺害された金城さんは、辺野古の新基地建設反対活動の中心的人物です。
7)高江の伊佐真次さん。高江住民でヘリパッド建設に反対。現在、村議会議員です。
8)辺野古商工会議所の飯田昭弘さん。容認派の声もぜひ聴きたいというアミラさんの要望で取材実現。
アミラ・ハス:パレスチナ占領50年
Sept 17, 2017
東京での講演会。1日目
これがあるから泣く泣く沖縄から帰ってきた。闘うジャーナリスト、アミラ・ハスさんの東京での2日続きの講演会の初日。アミラさんは、イスラエル人でありながら、そしてイスラエル人であるゆえに、1993年からガザ、1997年からは西岸のラマラに住み、パレスチナ占領の現地から報道するパレスチナ報道の第一人者として高い尊敬を集めている人物だ。
ハアレツ紙の記者になる前には、「労働者ホットライン」というNGOで仕事し、搾取されているパレスチナ人労働者の権利行使を支援していたアミラ。「客観的な報道はない」と言い切る。特にパレスチナ占領を行っている自国について報道するイスラエル人ジャーナリストだからこそ、自分の意見をもち、自分の世界観を出し、正直であるべきだという。社会に対する自分の責任をつきつめる。真髄はアクティビストなのだ。
東京での講演会。1日目
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| 東京大学での講演会で |
これがあるから泣く泣く沖縄から帰ってきた。闘うジャーナリスト、アミラ・ハスさんの東京での2日続きの講演会の初日。アミラさんは、イスラエル人でありながら、そしてイスラエル人であるゆえに、1993年からガザ、1997年からは西岸のラマラに住み、パレスチナ占領の現地から報道するパレスチナ報道の第一人者として高い尊敬を集めている人物だ。
ハアレツ紙の記者になる前には、「労働者ホットライン」というNGOで仕事し、搾取されているパレスチナ人労働者の権利行使を支援していたアミラ。「客観的な報道はない」と言い切る。特にパレスチナ占領を行っている自国について報道するイスラエル人ジャーナリストだからこそ、自分の意見をもち、自分の世界観を出し、正直であるべきだという。社会に対する自分の責任をつきつめる。真髄はアクティビストなのだ。
2016年12月19日月曜日
アン・ライト 活動報告会
Dec 7, 2016
平和活動家のアン・ライト。世界を飛び歩き神出鬼没。29年間、米陸軍に勤務し退役したときは大佐。その後外交官としモンゴル、ソマリア、ニカラグアなど16年間、世界各地で活動しましたが、2003年、イラク戦争に抗議して辞職。沖縄にも何度か行っていて日本でもおなじみです。この秋にはWomen's Boatに乗船してガザに向かいましたがイスラエルに阻止されて拘置され帰国。またつい先日まで極寒のノースダコタ州スタンディングロックでの先住民のパイプライン建設反対支援に、他の退役軍人たちと共にはせさんじたばかりと、疲れをしらぬ活躍ぶりです。
そのアンの活動報告会が12月6日夜、ニューヨークで開かれました。Women's Boatはかつてのガザ支援船団の流れを汲む活動。イスラエルにより封鎖されているガザ、支援船は封鎖を破り封鎖に抗議すると共に、ガザ地区住民に食料・医薬品・建設資材を届けようとする試みで過去に何回か実施されましたが、毎回、イスラエルにより阻止され、2010年には軍による襲撃で死者を出す悲劇となりました。
Women's Boat to Gaza (WBG) は、船長も含め、全員が女性。9月半ばにスペインのバルセロナを13人が2艘の船で出航し、途中、数カ所で教育イベントを行いながらの3週間あまりの長旅でした。1艘が途中で故障したため、残りの1艘にぎゅう詰めになり、嵐や船酔いに苦しめられながら進んだのですが、ガザまで後50キロの地点で、イスラエル軍のお出迎えを受け、拘留の末、送還とあいなりました。
全員が女性。もちろん、非武装。身元も公表されていたため、イスラエル側も手荒なことはできません。以前の支援船団のときの重武装の兵士とは異なり、乗り込んできたのは女性兵士ばかり。戦闘服を着ず、武器も携帯せず、できるだけことを構えたくないらしいのがありありでした。兵士と1対1で話す機会をみつけたアンは、兵士だった自分の体験を述べ「国が間違ったことをするときには従ってはだめ」と語りかけたと言います。
拿捕ははじめから想定されたことでした。Women's Boat に参加したのは世界各国から来たさまざまな体験を積み肝のすわった女性たちばかり。それでもイスラエル兵士が乗り込んできたときパニックに陥らないよう、惨事をおこさないよう、ガザに近づくまで繰り返しトレーニングを積んだそうです。「どうせガザには着けない。つかまって送還されるだけ、無駄ではないか」という声があることを、もちろん、アンは知っています。それでもガザの住民に、「世界はあなた方のことを思っている、忘れてはいない」という希望を届けるため、ぜひまた試みたいと意欲をもやしています。
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