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2019年1月25日金曜日

8月28日:辺野古ゲート前  テント前最後の滞在日


Aug 28, 2018 

ゲート前が原点

大阪からかえってきた山城博治さんが、話し始めた途端に空かき曇りざあざあ降りの雨。





2019年1月24日木曜日

8月18日・土砂投入開始阻止3日間集中行動最終日


Ayg 18, 2018

思いがけず、楽しい祝祭の時となった「土砂投入開始阻止集中行動」最終日にあたる818日。



ゲート前でのしめくくりとなるスピーチの中で、山城博治さんは、目下、最大の課題となった9月の沖縄県知事選について、以下のように述べました。

8月17日・土砂投入開始阻止3日間集中行動2日目

【海上行動


817日。日本政府が土砂投入開始を宣言していた日。辺野古では、ゲート前と海上で阻止集中行動が行われました。




 


カヌー隊による海上大行動に参加しようと早起きしていってみましたが、この日はさすが報道陣の人数が多く、始発の抗議船には乗れず。船を待つ間辺野古の浜に行ってみると、フェンスの向こうの浜辺では海兵隊が水陸両用車で演習中。こんなのが目の前で日常茶飯事おこなわれるなんて、沖縄以外にないのでは?

8月16日・土砂投入開始阻止3日間集中行動初日 川口真由美さん アメリカの学生・院生の訪問

Part 1: なかった土砂投入
ざあざあ降りのお盆明けの816日、17日に政府が宣言していた辺野古土砂投入開始を止める3日間集中行動の初日。大勢の人たちがゲート前集会に参加しました。




2019年1月23日水曜日

8月10日、辺野古5日間集中行動最終日・闘いは続く

Aug 10, 2018



817日開始と日本政府が予告した土砂投入を阻止するために企画された辺野古5日間集中行動最終日にあたる810日。

翁長知事の急逝で政府の対応が取沙汰される中、8月いっぱい陸上での資材投入はない、塩川港での土砂搬出の動きも少なくともしばらくはないという発表。また、埋立作業もお盆休みは停止ということで、813日から15日まで、ゲート前も海上行動もその間、お休みが決まった。


8月9日、辺野古5日間集中行動4日目・翁長さん追悼

Aug 9, 2018

翁長さん逝去の悲報がはいった翌日、朝早くからいつもより多くの人たちが辺野古ゲートにやって来た。



「ひとりではとても耐えられないつらい報せを受け、人々は悲しみと衝撃をほかの人とわかちあい励ましあうためにテントにやってきてるんだと思います。今日のすわりこみは翁長さん追悼の集まりでもあります」と山城博治さん。


あるテレビ局のインタビューに応え県民が受けた衝撃について博治さんが「琉球処分で国のトップを突然、東京に連れ去られた後の、支柱を失った人々の茫然とした思いを思い浮かべました」とコメントしているのも、もれ聞こえた。

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その後、博治さんからアメリカの支援者向けにもビデオメッセージをいただき、大感激。


翁長知事が進めていた埋立承認撤回の前に、事業者である沖縄防衛局の反論を聞く聴聞は、防衛局側が期日の延期を求めていたが県がそれを認めず、この日、午後行われて終結し、県が実際の撤回処分に踏み切る体制がさらに進んだ。





17日に国が宣言している「土砂投入開始」がどうなるのか、国の戦略がみえないまま、お盆休みがまもなく始まる。




午後4時に国道局が、ゲート前、すわりこみの妨害になっているバリロードとよばれる国道と歩道との間の隔壁に関する要望書への回答を出すということだったので、すわりこみ後、防衛局前に移動。




博治さんを含め代表20名と局との面談が行われたが、国道局は防衛局の言い分のおうむ返しのように繰り返しただけだったようで、面談は長引いた。



防衛局のロビーで報告をまっていると、作業エプロンをつけたままの金城実さんがかけつけて、翁長さんを失ったいま、どう考えどうすべきか、沖縄の歴史をいき表現してきた軌跡をふまえてマイクをとり、集まっていた皆に活をいれた。



土砂投入を許さない8.11県民大会 翁長さん、ありがとう

Aug !1, 2018






7万人が会場を埋め尽くした。辺野古に土砂を投入させない抗議の会としてかねてから企画されていた県民大会は、くしくも亡くなった翁長知事に感謝し、その遺志をいかそうと人々が決意をあらたにする機会になった。台風の影響で途中から土砂降りの中、満員の会場からあふれた人たちも、厳粛だけれど優しさにもあふれたこの特別な時を共にした。





辺野古5日間集中行動初日・搬入が完全に止まった!Aug 6, 2018

Aug 6, 2018

いま8月7日、朝5時。辺野古の朝は早い。全国各地から熱い思いでかけつけた人たちで満員の稲葉ハウス。本部の塩川港に辺野古新基地建設用資材搬出阻止のために6時すぎに出発する組が隣の2段ベッドで身支度に忙しい。ここから近いゲート前でのすわりこみは、7時頃から人が集まり始まる。カヌーでの阻止行動にでかける人もいる。全員がちょっと緊張した出勤前時間。



5日間集中行動の第1日目だった昨日8月6日。塩川もゲート前も資材搬出・搬入は完全に止まった。わーい!




2018年3月28日水曜日

山城博治さんたちへの判決に抗議して駐米日本大使に書簡を届けにいきました。

3月23日、首都ワシントンの日本大使館前で山城博治さんたちへの有罪判決に抗議して、海外米軍基地反対連合がスタンディングを行いました。平和を求める元兵士の会や、戦争のない世界(World Without War)、コードピンク、そして、もちろん、沖縄ピープアピールの代表・メンバーが見守る中、連合のコーディネイターのバーマン・アザドさんが、佐々江駐米日本大使宛ての書簡を大使館員に手渡しました。


最初、警官も約1人、登場しましたが、「お、かわいいじゃん」の声もあがる(誰の声じゃ?)にこにこした若者で、所定用紙にささっと書くこと聞いて、すぐ帰っていきました。



2018年3月26日月曜日

沖縄へのメッセージ

2018年2月24日、5番街のNY図書館前での、山城博治さんたちの起訴取り下げを求めるスタンディング。参加してくれた人たちから、沖縄の辺野古新基地建設反対・基地撤去を求め闘いを続けている人たちにから、「なぜ、今日、ここに来たの?沖縄の人たちに思いをひとこと」とビデオ・メッセージを送っていただきました。


山城博治さんたちの無罪を訴えて いってきましたトランプタワー

2018年2月24日、五番街を賑やかに。「NO BASES NO WAR: No U.S. Military Bases in Okinawa」ラリー。


プロテストなのに、とってもなごやか。前からの知り合いもはじめて会う人たちも、バナーを手に隣り合ってたつ人たちと楽しそうにことばをかわしている。読経と太鼓の音が響き、サブロー師匠のソウルフルな三線が沖縄の心を奏でる。沖縄をはじめ、世界各地に作られたアメリカの海外基地。基地がなければ戦争もないと、基地反対を訴え、合わせて辺野古の新基地反対の活動の中で逮捕され、3月半ばの判決を待っている山城博治さんたちの無罪・起訴取り下げをアピールするスタンディングを行いました。





巨大なバナーも、「見ろ、見ろ」と攻撃をしかけ、忙し気に歩くニューヨークの人たちから「へー、沖縄だって」という声があがります。「沖縄はすごくいいところで、みんな親切。軍人で沖縄に配属された友達はみな、そういうんだけど、これはどうして?基地って何か問題があるの?」と不思議そうに聞いてくる人もいました。

2017年10月1日日曜日

防衛省交渉「辺野古の工事、いまどうなっているの?」

Sept 30, 2017 メンツがそろった。抗議船船長でもある北上田毅さんが公共土木専門家の見識と情報開示で得た知識をいかして辺野古の工事の違法性をぐいぐいと攻め、福島みずほ議員が防衛省側の回答の弱みにここぞとばかりにくらいつき、山城博治さんがかぶりつきの席からがんをつける。9月28日、参議院議員会館講堂での防衛省交渉「辺野古の工事、いまどうなっているの?」、なかなかでした。


北上田さんの緻密なレポートは、ブログ「チョイさんの沖縄日記」やIWJ、FoE Japan のホームページでご覧いただけるので、ここでは、9月27日の市民集会と28日の防衛省交渉院内集会での山城博治さんの発言のハイライトをつまんで、ご報告。辺野古のいま、闘いのこれからが、わかります。

2017年6月26日月曜日

星条旗新聞が ヒロジさんをインタビュー

June 25, 2017

6月22日付けのStars & Stripes 紙に山城博治さんのインタビュー記事(Anti-USbase protest leader has become symbol of resistance on Okinawa)が大きく出た。ちょっとびっくり。Stars & Stripes 紙は、米軍の新聞だからだ。軍メンバーに関する事柄にフォーカスして報道する新聞として国防総省内で運営されている。ただし、編集の独立性は言論の自由を保障する米憲法修正第一条によって守られているという。編集部も単なる上意下達の機関紙ではなく、読者の興味に応える報道を謳っている。

Stars and Stripes, "Anti-US base protest leader has become symbol of resistance on Okinawa."
June 22, 2017
ヒロジさんの記事も、まさにその独立性躍如の一例。もちろん、完璧な記事ではない。特に米軍の所行に関してはつっこみが足りない点が多々あるし、騒音はじめいまも続く基地被害にもふれていない。異論はいろいろあるだろう。それでも、辺野古にノーをつきつける沖縄人・ヒロジさんに正面から向き合い、そのことばに耳を傾ける真摯な姿勢は、評価できると私は思う。安倍政権下ですくみまくりにみえるNHK(がんばってる少数の人たちの涙ぐましい努力をのぞき)や多くの日本の主流メディアがかき消している声の一部を、ここで見つけた気がした。ざっと訳してみました。(翻訳・文責=大竹秀子)
 


米軍基地反対抵抗運動のリーダー 沖縄の抵抗のシンボルに
By Matthew M. Burke & Chiyomi Sumida

掛け声をあげ、叫ぶ反対運動の人たち。交通を遮断し、手にするサインには、海兵隊員は「テロリスト」で「殺人者」と書かれている。— キャンプ・シュワブや沖縄のその他の基地に駐留する軍人が毎日のように出くわす現実だ。

反対グループはおおむね少人数で、2030人から数百人規模だ。だが、米軍兵士による犯罪事件が起きると数千人に膨れ上がることもある。抗議の声をあげている人たちは明らかに非暴力で市民の支持を得ている。だが、参加者の中には興奮のあまり、アメリカ人の子供たちに罵声を浴びせたり、車をたたいたり、通行人を押したり衝いたりする人たちもいる。彼らといつも相似形の対をなしているのが日本の警察で、警察はしょっちゅうドラマチックな逮捕をおこなっている。

運動のリーダーのひとり、山城博治(64歳)は、この抵抗運動のシンボルのひとりだ。温かい人柄、物柔らかな口調、心和ませる笑顔の持ち主だ。抗議行動に関して逮捕され、5か月間の勾留の末、3月に日本の拘置所から釈放された。

釈放以来、山城は日本各地を回り、抗議運動について講演している。今月には、運動について、そして日本政府が体制批判者
いかに弾圧しているかについて国連の場で語った。

「よく誤解されるのですが、私たちの活動は、反米ではありません。アメリカ人は、いつでも沖縄の人たちの暮らしの一部になっています」、山城は、524日、那覇の担当弁護士の事務所で、スターズ&ストライプス紙にそう語った。

山城の話では、彼が子供のころ、父親は米軍基地で働いており、アメリカ人たちをよく自宅に招いた。客が、たたみにぎこちなくすわりビールを飲んでいるのをながめるのは、楽しかったという。中には、一家の親友になったものもいた。

 「そのうちの多くがベトナムにいきました」、山城はしみじみと語った。「誰かの訃報が届くたびに、私たちは悲しみにくれました。父はいまなお、額縁にいれた彼らの写真を居間にかざっています」。

山城は1952年、具志川市(現うるま市)で、農家の次男として生まれた。
         

「戦争の悲惨をたくさん聞いて育ちました。戦後の混沌で、人々が生きていくのに必死な時代でした。我が家は米軍支給のパラシュート素材で作った掘っ立て小屋だったんですよ」。

こうした戦争の悲惨の物語が、後に抵抗運動の指導者を生むことになった。山城の少年時代から十代を通してベトナム戦争が激化し、沖縄は米軍のハブになった。


「沖縄では米兵による交通事故、殺人、レイプ、そのほか、さまざまな犯罪が相次ぎました」と、山城。

1968年、B-52が近所で墜落した。もし、核弾頭がつまれていたらと思い、トラウマにとりつかれたと言う。

1970年には、通っていた高校の女生徒が、米兵に襲われ、レイプされそうになった。なんとか逃れたが、数か所を刺され傷つけられた。

「もう、怒り狂ってね。マイクを手にして高校生の抗議グループを作って、犯人が所属していた米陸軍通信部隊までデモをし、フェンスの外で集会を開きました。」

活動は1971年も続いた。沖縄返還が望んだような形で行われなかったからだ。自校をバリケード封鎖し、退学を余儀なくされた。
大学卒業後、沖縄県庁の職員となり、税務などを担当した。また、全日本自治団体労働組合の沖縄支部の副委員長も務めた。2000年には、沖縄平和運動センターに参加し、あっというまにかけがえのないリーダーになった。山城と抗議運動参加者たちは、いくつもの理由から普天間の海兵隊飛行場のキャンプ・シュワブへの移転に反対している。最新鋭の軍用飛行場を備えて増強される基地は、地域に戦争が勃発した際に敵の標的にされるという思いもある。

「沖縄で軍の存在を強化すれば、中国との軍拡競争をあおるだけです。いますでにある軍事力をもとに、アメリカと中国は現状維持を話し合えるはずです。アメリカと中国には、それができると確信しています」と山城は、言う。

理想をいえば、抗議運動をおこなっている人たちは、沖縄を米軍も日本の自衛隊もいない、軍隊のいない島にしたいと願っている。だが、その実現はありそうにないと、山城は見る。だから、抗議運動は、拡張とみられるあらゆることに反対して展開されている。 

「抑止力の必要に異を唱えているわけではありません。でも、抑止力を、武力の行使にエスカレートさせてはなりません。戦争がだんだんと近づいているという強い予感がしています。この島がまたしても、戦場になると考えると、身の毛もよだつ思いがします」。
反対運動の人たちは、環境問題にも懸念していて、大浦湾に建設される新しい滑走路を、環境を破壊する大災厄とみている。山城と反対運動の人たちは、思わぬ場所から支援を得た。セントルイスを拠点とする「平和を求める元軍人の会(VFP)」だ。

VFPは、元軍人と現役の米軍人がメンバーだ。VFP全米理事会メンバーで1959年から1962年まで第101空挺部隊に所属した元軍人のタラク・カウフは、「VFPのミッションは、戦争の廃絶ならびに、平和の文化の構築だ」と語る。VFPはこれまで反対運動の人たちを支援して、沖縄に数回、メンバーたちによる派遣団を送った。カウフもこれに参加した。

「沖縄で広く支持を得ている市民運動、独立やほんとうの民主主義と求める運動、米軍による沖縄の占領を止める運動は、大勢のアメリカの元軍人と現役の軍人、特にVFPのメンバーの間で共感を呼んでいます。私たちは、米国の戦争と軍事主義による不毛と恐怖を目にしてきたからです。沖縄では、住民の7割から8割が、米軍基地の存在を望んでいません。そして、知事も含めて住民の9割近くが、辺野古と大浦湾の環境破壊に反対しています。そんな状況で、我々が守っていると称する民主主義とは、いったい何なのか」と、カウフは言う。カウフは、山城に同志を見いだしたのだ。

山城の話によると東京の中央政府は、沖縄とその住民に多大な圧力をかけている。力の続く限り、ふんばり、闘い続けると山城は言う。

抗議運動はすっかり定着している、だが、それは、アメリカ人と沖縄の人々が敵対関係にならざるをえないということではない。

「軍の人たちと沖縄の住民が密なコミュニケーションをもつ限り、互いに理解しあえるとかたく信じています。結局のとこころ、私たちは皆、平和を、そして戦争のない世界を求めているのですから」。 

burke.matt@stripes.com

sumida.chiyomi@stripes.com