2018年4月2日月曜日

翁長知事 ワシントンで講演 世界の自由主義を守るのも大切だけど、沖縄の生命・財産は守れないんですか


March 13, 2018 in Washington DC
沖縄県主催シンポジウム Changing East Asian Security Dynamics and Okinawa: Re-examining the U.S. Force Posture in Japan
翁長雄志沖縄県知事基調講演 (全文書き起こし)


みなさん、こんにちは。本日はこのようなシンポジウムを開催いたしましたところ、多くの方々にご参加をいただきまして感謝を申し上げます。沖縄県知事の翁長雄志でございます。基調講演をお引き受けいただいたウィリアム・ペリー元国防長官、そして今回のシンポジウムの開催にあたり、ご尽力をいただいたジョージ・ワシントン大学のマイク・モチヅキ教授、パネルディスカッションに参加していただく有識者の皆様方に心から感謝を申し上げます。


今日、いろいろ話はするんですけれども、約30分ということでありまして、皆様方のおてもとの方に、英語版の沖縄の基地問題や環境問題を中心とした資料がありますので、大体こういう内容を私の方も話をしますので、参考にしながらお願いをしたいという風に思っています。

私は、マイク・モチヅキ先生からもご紹介がありました通り、もうほぼ4年前に県知事に当選をいたしまして、それから今度で4回目のワシントン訪問となります。その都度、こういう形を含め、連邦議会を含めですね、いろいろ意見交換をさせていただいて、今日までに来ております。


沖縄県が日米安全保障体制の必要性を理解する立場であること、私が普天間飛行場、ぜひとも県外・国外にという話をするもんですから、沖縄は米軍基地みんなに反対しているんじゃないか、こういうような方もたくさんおられますけれども、普天間が返還されてどれだけ減るかというと0.7パーセントなんですね。ですから私が、反対をしているのは0.7パーセントに反対をしているのであって日米安保体制を十二分に理解しながら、沖縄の基地をできるだけ少なくしえくれというようなことをずーっと訴えてきてるわけであります。


日米両政府は沖縄県民がこのように県内移設に反対を示しているにもかかわらず、辺野古唯一という立場を変えないで普天間飛行場のいわゆる県内移設ということで工事を推し進めているところであります。

また、安倍総理は先日の国会で沖縄の基地負担の軽減が進まない理由として移籍先となる日本本土の理解が得られないという話がありました。で、沖縄の方はもう4年ほど前になりますが、知事も47市町村長も県議会議長も市議会議長も全部一緒になって反対運動を東京の方でやったんですね。自由民主党から共産党までみんな。ところが、そういうものには一顧だにしないで、辺野古唯一ということできてるわけです。大体、本土の都道府県では知事さんや市長さんがだめだといえば、もうできません。沖縄県は全員でやってもこれが声が通らないんです。こういう実情が日本の地方自治という中であるんだということをご理解をいただきたいという風に思います。

またこれまでにも多くの国会議員、また識者の皆さん方が、沖縄県に海兵隊を置く場合に、普天間基地を置くというのは軍事的には必要ではないけれども、政治的には沖縄にしかおけない。本土はどこでも受け入れてくれないので沖縄にしかおけないという理由が、沖縄に普天間飛行場があるというようなことになるわけです。

ですからこういう状況の中で私たちは是非とも、日米両政府において沖縄の基地負担の軽減につながる現実的な解決策が示され、提示され、それが実行されることを望んでいるわけであります。ですから辺野古唯一ということでものごとを進めますと、これからいろいろ説明いたしますけれども、より安定的な日米案保障体制を構築するのが難しくなってくる。この問題についてしっかりとした認識を米国も日本国民全体も考えていただきたいなあという風に思っているわけであります。

まず沖縄についてちょっと簡単に説明いたしますと、大変ご存じの方もおられるでしょうし、はじめての方もおられると思うんで、簡単に沖縄のことについてお話をしたいと思います。こちらの方に地図がありますので、ご覧になりながらお願いします。

沖縄県は日本列島の中では一番西、あるいは南に位置をする160の島々からなっています。東西1000キロ、南北400キロというところに160の島々がありまして、そのうちの37の島に人が住んでいます。全体で144万人。ほんとに、米国の方では、沖縄県にこれだけ基地があるから、人口も少ないんじゃないかというような風に考えておられる方も多いと思いますが、米軍基地は沖縄本島にあるんですけれども、この沖縄本島には120万人、人が住んでいます。東京の23区と同じくらいの人口密度なんですね。そこに本島の15%におよぶ米軍基地があるものですから、なかなか道路網の整備だとか、救急車がわたるときに米軍を迂回しないといかんとか、大変厳しい環境がある中での沖縄の状況です。

沖縄県は全国の0.6パーセントの面積です。本島、宮古、石垣、与那国という160をあわせて日本全体の0.6パーセントの面積、そこに米軍専用施設が70.4パーセント、全国のですね、それを沖縄県が引き受けて、日米安保体制を支えているというような状況であるという風に思っていただきたいと思います。

歴史をたどりますと、沖縄県はもともと独立国でありまして、1879年に廃藩置県、いわゆる日本全体が藩を廃止して、県に変わっていくという中に、沖縄県はその独立した国から日本全体の1県になったわけであります。沖縄のそういう状況はいつ頃、沖縄は日本になったんだということで、今日は大変に光栄なことでありがたいことに、ペリー元国防長官がこのようにご出席をいただいて、あとで講演もいただくということになっているのですが、そのペリー元国防長官の5代上のおじさまにあたるペリー提督が実は、浦賀に黒船で来られたわけです。ですから、ペリー提督の末裔といいますか、元国防長官は、そういう風になります。このペリーさんはいつ浦賀に来たかというと、実は琉球王国に来てですね、5回来て、85日間、滞在をして、そしてそれから浦賀に行ったんです。

ですからいま日本でペリー提督が最初に来たところはどこかというと皆さん方みんな浦賀という話になるんですけれども、それはあたってはいるんですが、沖縄に5回、85日間、滞在をしてですね、やっております。それでこれはペリー元国防長官にもお見せしたんですけれども、そのときの琉米友好修好条約、これがペリー提督のサインと同時にこの中身が全部、ございます。ちょっと遠いところからでわかりにくいと思いますけれども、漢字と英語で書いてありまして、琉球はその時にオランダとフランスと友好修好条約を結んでいるような状況でございました。

そういった歴史的な背景の中で沖縄の米軍基地と歴史というようなものがでてくるわけでありますから、第2次世界大戦中、いわゆる1879年に日本の国の一員となって61年目になりますけれども、第2次世界大戦がおきましてその一番の激戦地が終戦間際の沖縄の戦争で、地上戦ですね、県民はその当時、40万人くらいいましたけれども、そこで10数万人亡くなりまして、20万人台になったんですけれども、米軍の死者も1万数千名、日本兵も10万人、亡くなってます。大変な戦争でございました。

そういうのを経ながら、日本が敗戦をしたわけですけれども、はいってきた米軍は、沖縄にはその時には基地はひとつもありません。日本軍の基地も基本的には1カ所だけでほとんどなかったんですけれども、いわゆる占領するなかで、沖縄県民は全部、収容所にはいりまして、自分のふるさとには帰ることができなかったんです。

自分のふるさとに帰ることができなくて、収容所に20万人以上、収容されている1年間の間に、実は米軍が沖縄県の田畑、あるいは家、住宅ですね、そういったものを全部ばらしてですね、いまのような普天間飛行場、嘉手納飛行場、すべてのものはできあがってまいりました。のちのち、日本本土にも米軍は行きまして、占領したわけですが、向こうで使っている基地はもともと日本国内にある日本軍の基地を米軍基地に変えていったんですね。沖縄県はゼロのところから新しい基地がこのような形で、沖縄の中南部、本島の15パーセントにおよぶ米軍基地ができあがってきたわけであります。ですからこの状況の中で、今日まで70年間、ほとんど変わらないまま、米軍基地がある。

そして私は、もともと自由民主党の出身ですので、日米安保条約というのは大変、理解しています。ですから、東アジア、あるいはアジア全体、極東、この安全のために日米安保体制が十二分に機能して平和が保たれているということにつきましては私自身、それでよかったと思いますが、ただ残念ながら、たった0.6パーセントの面積に70%以上の米軍基地があるということは、いくらなんでも沖縄の歴史とかを含めていろんなできごとがありましたけれども、これは沖縄に対して思いのいたらないところがあるのではないかというようなことが沖縄の知事になった私からすると県民の生命・財産を守るのが知事でありますから、一番の関心事は、そういった日米安保体制の中でも、沖縄県民の生命・財産、あるいはよく事件になります、少女暴行事件、あるいは20歳の女性の暴行事件、こういうのが何百件、何千件という形で出てくるわけですから、こういったこと等を整理をしないと、本当の意味での日米安保体制というのが構築できない。

なぜならば日米安保体制というのは、世界の、アジアの国々の中で一番、自由と平等と民主主義と人権を重んじる国をしっかり守ろうということで日米安保体制があって、自由主義社会というものを今日まで守ってきたわけですけれども、ただ、その守ってきたうちの一番のたくさんの多くのところと0.6パーセントの沖縄に70パーセント以上の米軍基地がおかれているということはですね、これは私たちからすると意味は理解できても70年間におよんでそういうことをするかと、それから、新辺野古基地ができあがりますとこれ100年、200年、また基地が出てまいりますので、普天間が新辺野古基地に移って嘉手納以南の基地がまた北部の方に移るんですけれども、全部返還されてどれだけ面積が減るかというと冒頭申し上げました通り、0.7パーセントです。

いわゆる70点何パーセントから零点何パーセントしか減らない。なぜかというと、あの占領をしたときに、沖縄の基地を作って銃剣とブルドーザーで家屋敷も壊して新しい基地ができたんですが、その普天間飛行場に故郷に帰ろうとして住民が戻ってきたらもう基地ができあがっているもんですから、自分の故郷にはいることができない。そこには役場もありましたし、学校もありましたし、郵便局もありましたし、1万4000名が住んでおったんですけれども、はいれない状況になりました。それで普天間飛行場の周辺にみんな住むようになったんです。それを心ない人は、ほらみてごらん、基地のそばにいる方が経済的にうるおうからみんなあぶないとわかりながら基地のそばにきたんでしょうというような話をされると、普天間の人、あるいはそれ以外の基地のそばにいる沖縄の人は、みな悲しむわけです。

帰ろうと思っても帰れなかったから、お墓もそこにあるわけだから、帰れなくて周辺に住んでいるのに、米軍の基地のおかげで繁栄をしたでしょうとこういうような話をされるのは、沖縄県民からすると大変、心が痛む出来事であります。正当な評価というものもされない中で、総理が沖縄に基地を置くのは、日本国本土の方々が理解がないから置くんだというのを今年にはいって本会議で答弁をされたりということも大変、残念なことになります。

それで沖縄の経済というのがどのように変わってきたかといいますと、当然、終戦直後は沖縄県のGDPの50%が基地経済でした。農業が中心でしたから。しかし農業も爆撃でみんなやられまして製造業とかそれ以外の流通産業も全部壊滅的になって就職するところがなかったんです。で、どこに就職したかというと、皮肉にも米軍基地ができあがっていく基地の工事を道路を作ったり、建物を作ったりするところに従事をして沖縄県民は戦後の時代をスタートしました。その時の沖縄県の経済にしめる米軍のGDPが50%です。ほとんどの人が米軍で働く以外に生きていくすべがなかった。そういう状況なんですね。

ところがそれから25年。27年たって日本に復帰をしました。日本に復帰をして日本国民の一員になったわけですけれども、その一員になったときのGDPに占める沖縄の経済の割合は、米軍の割合は15%です。50から15に減りました。そして復帰してそれから以降、10年、20年とたっていきますけれども、現在、米軍の経済は沖縄の基地の占める割合というのは、20年ほど前から5%なんです。

沖縄県のGDPは、いま4兆5000億円、4兆500億円まで拡大して観光産業も情報通信産業も物流産業も大変大きな発展をしてきておりますけれども、これはやはり米軍の基地経済とは離れて沖縄がアジアのダイナミズムを取り入れてアジアの中心地、日本とアジアの架け橋になる、こういった役割をいま70年にして沖縄が経済的に大きく飛躍するようなものができあがってきているわけでございます。

ですから私は、もう5年くらい前から言ってるんですけれども、こういう話をすると米軍に対して反対するとかそういう気持ちではまったくございません。大変誇張された話をされるんですが、沖縄の経済が基地のおかげで発展している、これは前半はそうでした。

またそれ以外に生産の手段がありませんでしたので、戦争でやられてこれはもういたしかたなしであります。この30~40年は自らの力で当然、政府からの援助がありましたけれどもそういったことの中で沖縄が発展をしてきた。そういう中で米軍基地の存在というものが経済という意味ではほんとに小さくなってきたという風に思っております。

50%から5%までに減りましたが、私が先ほど冒頭に申し上げた英語版の中にも書いてありますけれども、たとえば那覇市で米軍の住宅地が215ヘクタール。米軍の皆さん方が住んでいるところがありまして、これが30年ほど前に返されて、私が那覇市長になっていまの新しい町ができましたけれども、当時165ヘクタールの軍用地料、つまり米軍に貸して土地代をもらっていたのが、52億円、ですから地主さんは返されたら私たちは生きていけないんじゃないかと軍用地料がなくなったらだめじゃないかという話があったんですが、この215ヘクタールを17年前に私が着手をして5年ほど前に完成をしたのですが、これがどのように変わってきたかといいますとね、この52億円の収入に代わりまして、いまの現在のものが約600億円になっていますので、10数倍になっております。それから雇用も芝生を刈ったり家が壊れているのを直したりする人が米軍の住宅の215ヘクタールで170名くらい働いておりましたけれども、返されましたらいまあの新都心地区でどれだけの人が働いているというと、1万7000名、百倍の方が基地が返されたところでいま働いているわけであります。税収も30倍に膨らみました。

6億だったのが199億円、6億っていうのは52億円の土地代の税金が6億円だったんですが、いま大きな町に変わりまして、税収も199億円に変わってきております。

ですからまずひとつは、米軍があるから沖縄の経済が発展しているんだというのは、前半はあたっていますけれども後半は沖縄の発展をある意味で拒んでいるということになってまいります。

ですから日米安全保障条約の大切さを私も自由民主党沖縄県連の幹事長をしておりましたから、しっかりとそれを守りながらやってきたわけでありますけれども、いまここにいたってですね、そういった重要性もさることながら、沖縄の経済の発展という意味では大変厳しい環境になってきております。

ですからこういった普天間飛行場が返還されるときには、あらためて抑止力とか地理的な要件とか考えながら、日本全国でこれを考えてもらいたい。特に北朝鮮・中国というものはもともと朝鮮戦争のときには北九州が基地だったんです。

ところが朝鮮戦争が終わりましてむしろ日本の国内で米軍基地の撤退の、反対運動がおきて沖縄は占領後で日本国民ではありませんでしたから、戦後の27年間は、沖縄の方に山梨県、岐阜、九州の方から海兵隊がみんな移ってきて沖縄に70%、来ているわけであります。

ですから日本本土の方が反対、で沖縄がいまそういうことをいうとお前たちは中国と通じているんだとか、いろいろ言われますけれども、実際上は、あの1950年代は、日本国内の方が反対をして、米軍出ていけということで沖縄の方にみんな来たというのが現実的な事実でありますので、その辺のところがわからないと私どもがひとつの普天間飛行場を新辺野古基地、これがまた美しい海なんですよ、さんごがあってジュゴンがいてですね、ここを165ヘクタール、埋め立てて新しい基地を作ると。これもそういう話をしたらなかなか身近に感じられないものですから、私は他の都道府県のところで話をするときには、こういってるんです。

秋田県のあの美しい十和田湖を抑止力のために埋めますか。宮城県の松島湾を抑止力のために埋めますか。滋賀県の琵琶湖を抑止力のために埋めますか。こういうことを話をすると身近な、自分の近くの美しい自然を埋め立ててこういう基地を作ることのおそろしさが感じられると思うんですね。で、大浦湾という今度埋め立てるところは絶滅危惧種が262種、これは他の世界自然遺産登録をされてる日本国内の中でも、まだ指定もされていないのにナンバーワンです。

絶滅危惧種が262、そして全生物では5800種類。なおかつジュゴンがいて、あかがめ、あおがめがいてさんごが生い茂っているわけですね。これを埋め立てて、いわゆる基地にするというわけですから、これはどれだけのものになるかというと埋め立てる量が10トンダンプの200万台分

です。200万台分ですね。これだけのものがこれから向こうの海に埋め立てられて基地ができあがるわけですから、沖縄県民が心の痛みというのがよくご理解をいただけるんじゃないかな、とこのように思っております。

なおかつ、経済ということでもそうなんですけれども、もうこの1年間で米軍のヘリコプター、特にヘリコプターですね、不時着、緊急着陸、それから不時着炎上、それから墜落、こういったものを含めて30件です、この1年間で。

皆様方もお聴きになったと思いますが、2~3ヶ月の間には普天間の第2小学校に8キロもある窓枠が学校で子供たちが遊んでいるところのど真ん中に落ちてきたんですね。これは去年の12月です。

それでその前には保育園の屋根の上にも落ちたりいろんなことがあるんですけれども、もうあまりの多さにひとつひとつ抗議をすると前のものも何も解決していないのに新しい事件・事故が起きるものですから、これについて抗議をしていくんですが、じゃ前の20件はなんだったのというくらいに新しいことがおこります。そういうことをやりながらの私たち知事も市町村長ももう業務の、私は東京も1週間のうち1回くらいは行きますけれども、ほとんど基地問題です。

外務省に行ったり、防衛省に行ったり、子供のこともお年寄りのことも知事としてはあるいは市町村長としてはやらなきゃいけないんですが、抗議、抗議で、抗議。抗議で何か変わればいいんですけれども、なんにも変わらないです。なんにも変わらないまんま、いまの状況が続いているもんですから、こういう形で私がワシントンDCまで来て、連邦議会あるいはみなさまにこういうようにお話をしながら、ぜひともご理解をいただきたいなあというようなことで出させていただいております。

ですからこの30回もあるというような中で何が見えてくるかというと、やっぱり日米安保体制の大変強いきずなで結ばれているのはいいのですけれども、残念ながら日米地位協定、あるいはそれを運営する日米合同委員会というのがありますけれども、これを乗り越えるすべを日本国民がもっていない、いわゆる米国と交渉するときに、あのように小学校の校庭に落ちても、30回いろんなことがあっても、ただただ米軍に申し伝えますということだけで何も変化がない。これがいまの日米体制の、それ以外にはいろんな緊密な動きをしていると思いますけれども、やはり沖縄県、あるいは日米安保体制の最前線にいる沖縄からすると、国民のあるいは沖縄県民の生命・財産はどうなってるのと、世界の自由主義を守るのも大切だけど、国内の沖縄県のそういったものは守れないんですかという話をしてるんです。

こういう話をするとお前は中国に近いのか、あっちに近いのかというような最近のネットはいろんなことを言われるもんですから、大変私もこわい思いをしているわけであります。

そういうわけで普天間飛行場の移設問題の歴史とか、いろいろございます。沖縄県は私が知事になりましてから、知事選挙、すぐ行われた衆議院選挙、それから県議会議員選挙、それからすぐ行われた参議院選挙、去年の暮れに行われた衆議院選挙、全部私どもが勝っております。市町村長選挙ではなかなか現職が、みんなそうでない人たちが当選をして私たちも苦労はしておりますけれども、県政全体のレベルでの選挙は全部私どもが民意を出しながらやっております。

だけれども、官邸も、日本の官邸も含めて私が当選したときに半年間くらい会ってくれなかったんですよ。官房長官も総理も。今度、名護市長、向こうの人が当選したら、翌日会ってますから、私は半年間、会おうにも会えない。議論もできない。よく人から、なんでもっと議論をして政府と信頼関係を作ってがんばりなさいよという話も聞かされますが、会ってくれないものを話をすることがなかなかできないという中に、いまの延長線上があって、じゃ、どうするかということについても議論がまったくできない状況であります。

私も10万以上、大差をつけて当選をさせていただいたというような状況で今日まできております。

たくさんお話ししたいことがございますけれども、30分以内でありますので、最後の方で申し上げたいのは、前の知事さんが3年4カ月前までは知事だったわけですけれども、その1年前に埋立承認をして工事が2~3か月後に始まる予定でした。だけれども私が知事になりましていろんなことを話をしましてやってきましたら、いまの新辺野古基地の状況は3年間、すでに工事が遅れています。

あれは10年間、かかるんですね。5年間は埋め立てて、5年間は上の方を作ってそれで10年後に普天間は新辺野古基地に移って稼働するんです。ところがいま3年間遅れていますから、どんなに早くてもこれからさらに10年近くかかるという状況。またいろんなできごとがありますので、さらに20年くらい遅れる可能性もあろうかと思います。

なぜかというと国際情勢が、これが実現するかどうかはわかりませんけれども、トランプ大統領とキムジョンウン書記が5月にはお会いをする。それからアメリカと中国の関係がいままでのものとはかわっていろんな形で協調したり、いろんなことがあると思います。

こういう変わり方、北朝鮮と韓国の考え方も変わるだろう。いろんな、そういう国際情勢の変化がある中で、15年から20年もかけてあんな美しい海を埋め立てて15年後くらいに完成する基地はそのときどういう状況の国際情勢やアジア情勢に対処するのかということがまったく見えておりません。これだけの年月がたてば世界情勢も変わると思います。よもやソビエトが冷戦構造から脱落をして30年前にロシアに変わったということも見えないような状況でしたから、こういう状況が変わってまいります。



ですからいま3年後のここだけ説明して終わりたいと思います。次のページ、これは、前の知事さんが仮にそのまま順調に進めていくときに辺野古の赤い線は護岸です。護岸を作ってもしそのまま順調にいっていたらあの赤い線までは全部、いま大浦湾の方にできあがるということになります。

そしてその中に点線で引いているのが土砂をいれるんですが、10(万)トンのダンプで200万台分、ここにいれるというのが状況ですけれども、これが目標でした。



だからいまどこまで進んでいるかというと、あの赤い3つの線がありますけれども、3年遅れでやっとあの赤い線の護岸ができているんです。これからさっきのページの護岸を作り上げていて、その上に10トンダンプの200万台分の土砂をいれるわけですから、外来種がはいってくる可能性があるので環境問題でも大変厳しいものがありますけれども、こういったこと等で、基地問題はいまの状況、裁判で政府が勝ったから前に進むんだというような話も、もし皆さん方も感じていられると思うんですけれども、こんな形でなかなか前に進まない状況になっております。

ぜひ、ご理解をいただいて今日のシンポジウムでひとつひとつ、皆さん方の疑問に思うようなところをお聞きになっていただいて、ぜひとも皆さん方のご認識に私どもの思いが伝わるように心からお願いを申し上げまして冒頭のご挨拶に変えさせていただきます。ありがとうございました。






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