2017年6月13日火曜日

オスカー・ロペス・リベラ 闘い続けて

「家族の次に恋しいのは海だ。この刑務所ではよく海が懐かしくなる。肺いっぱいに潮の香りを満たしたり、触ったり唇をぬらしたりしたあの海を。でも途端に気づくんだ、あの純粋な喜びに身をおくにはあと何年も先だろう、と」。



オスカー・ロペス・リベラが、愛する孫娘カリーナに向けて書いた手紙の一節だ。現在、74歳。70年間の禁固刑の判決を受けて、人生の半分に近い36年間を獄中で過ごしたオスカー。釈放の望みをもつことができなかった3年前に、書かれたこの手紙は、「国中で一番脱獄が難しく、難攻不落といわれ」囚人を「隔離し無能力にするためにつくられた」コロラド州フローレンスの刑務所での厳しい暮らしについても触れている。

「米州のマンデラ」と呼ばれることも多い、オスカー。プエルトリコに生まれ、14歳で両親と共にアメリカに移住するまで、自然の中で育った。鉄とコンクリートで自然から遮断された刑務所は、とりわけ、つらい体験だった。「イリノイ州のマリオン刑務所では、週に1度庭に出て、そこから木々や鳥たちを見ることができた。電車の音を聞き、セミの歌も聴いた。地を駆け回り、匂いをかいだ。草もつかめるし、蝶たちは周りにいた。でもフローレンスではそれら全てが終わったんだ」。





プエルトリカンとしての故郷への愛と誇りが、オスカーを刑務所に送りこむことになった。徴兵でベトナム戦争に従軍し、ブロンズ勲章を与えられるほど勇敢な兵士とされたオスカーだったが、この体験が彼を変えた。米軍より「ベトナム人に共感を覚えた」と戦地で誰もあやめることなく帰還することができたのは、ありがたいことだと。帰還後は、地元シカゴでプエルトリカンのコミュニティ活動に力を入れたが、やがてアメリカの「植民地下」におかれたプエルトリコの解放をめざし、FALN(民族解放武装軍)のリーダーのひとりになった。

プエルトリコは、米国自治連邦区という行政区とされており、米国民としてパスポートなく本土にわたれるが、歴史的に差別の対象とされてきた。FALNは、自らの闘いを植民地解放闘争と位置づけ、武装闘争を展開し、1970年代から1980年代まで全米120か所以上で爆弾事件をおこした。多くは爆発前に予告し被害者を出さなかったが、死傷者が発生した事件も何度かあった。
オスカーは、1981年に逮捕され、扇動共謀罪で禁固55年の判決を受け、さらに1988年には脱獄を企てたとして逃亡共謀でさらに15年の禁固を追加された。



有罪を認められた罪状が、爆発物を州を超えて移送した、盗難車を州を超えて移送した、というもので、死傷者を出した事件への加担は認められなかった。そのため政治犯として過剰に重い刑をくだされたとして、ある時期から減刑を求める声が高まった。キング師の未亡人コレッタ・キングからの呼びかけもあり、ビル・クリントン大統領は1999年に、FALN関係で投獄されていた囚人13人に恩赦を提案した。だが、オスカーは、恩赦の対象が仲間原因ではないとして申し出を拒否した。恩赦の対象ではなかった仲間もその後、釈放され、オスカーはつい最近までFALN関係の最後の投獄者とされてきた。



オスカー釈放を求める声は、近年、強まるばかりで、プエルトリコ系の市民はもちろん、デズモンド・ツツやリゴベルタ・メンチュウのようなノーベル平和賞受賞者、ジミー・カーター元大統領、バーニー・サンダース、さらにブロードウィの歴史的ヒットミュージカル『ハミルトン』の原案・脚本・作詞・作曲で一世を風靡したリン・マニュエル・ミランダなど、強力な顔ぶれが並んだ。

そんな中、ついに、オバマ元大統領が任期終了直前に減刑を決定し、2017年5月17日、オスカーははれて自由の身になった。



釈放されたオスカーは、政治的・社会的不正義と闘うヒーローとして、アクティビストたちから熱狂的なあたたかさで迎えられ、6月第2週の日曜にニューヨークで毎年、行われている「プエルトリコ・デー・パレード」の主賓に迎えられることに決まっていた。だが、「テロとの闘い」が世間の大きな注目を浴びる中、この決定に対する批判も強く、「元テロリスト支援」を攻撃されることをおそれ、パレードの常連スポンサーだったコカコーラ、食品のゴヤ、ジェットブルーなどがスポンサーを降り、州知事も出席を拒否するなどの騒ぎになった。当日、結局、オスカーは主賓ではなく「ひとりのプエルトリコ人として、また孫のおじいちゃん」としてパレードに参加することになった。

そんな騒ぎの中、オスカー自身は、「テロリスト」という批判を、どううけとめているのだろう?パレードに先立つ6月8日、独立メディア『デモクラシー・ナウ』のインタビューで、フアン・ゴンザレスはオスカーに次のような質問をした。フアンは自らもプエルトリコ系で、若いころはブラックパンサーと連帯するラティーノのグループ「ヤングローズ」でリーダーのひとりとして活躍した人物だ。「当時の、FALNの爆弾キャンペーンの件ですが、いまふりかえってどう感じますか。また、大勢の無辜の人たちの殺害に組織が加担したという批判については、どう感じますか?」



これに対し、オスカーは、まず、「人の命は貴いものだ」と断言したうえで、次のように答えた。「爆破については、繰り返し質問を受けます。いったい、何が起きていたのかと。これだけははっきり言えます。私は人命が危険にさらされるとわかっている行動に参加したことは一度もありません。それは保証します。そのうえで、はっきりさせておきたいことがひとつあります。プエルトリコは植民地とされており、独立を手にするるため、あらゆる権利をもっているということです。独立のためには、あらゆる権利があるのです。国際法にのっとれば、プエルトリコを植民地から解放したいと望むプエルトリカンには、武力もふくめて手にはいるあらゆる手段を使うことが許されています。私がそれを擁護しているといっているのではありません。そこははっきりさせましょう。1992年までに、刑務所にいた私たち全員は、暴力の推進はしないという立場をとるようになりました。暴力の行使はしないことにしたのです。1999年に、獄中にいた同志のほぼ全員が釈放されました。それから20年後のいまにいたるまで、一緒に獄中にいた人物が犯した暴力はただの1件もありません」。

テロリスト批判にこう抗弁したうえで、オスカーは、いまも変わらぬプエルトリコ解放への思いを次のように述べた。「コロニアリズムは人類に対する犯罪です。そこははっきりさせるべきです。プエルトリカンが植民地主義を甘受するなら、それは犯罪を甘受することです。私たちはプエルトリコを愛しています。私は故郷を愛しています。私のホームランドです。私の「約束の土地」なのです。そうした見方をすれば、私たちはプエルトリコを植民地から解放しなければなりません。私たちはもう暴力をもてあそんだり促進したりすることはありません。私たちがどんな存在ななのか、どんな市民でどんな人間なのかを人に知ってもらうことがとても大切です。私たちは、ホームランドを愛しているからです。そしてまた、私たちは正義を愛し、世界のあらゆる人々の自由を愛しています。」


厳しい警戒の中、8日夜には、ブロンクスでオスカー歓迎イベントが開かれた。演説のため、ステージにたったオスカーは、いまなお、植民地状態から脱することができず、本土のデベロッパーの餌食となり、「開発」の末、お金は地元に落ちず、本土にすいあげられていくプエルトリコの現状をあらためて訴えた。

プエルトリコは、米国議会に代表を派遣しているが、議決権は与えられていない。プエルトリカンは、本土にわたれば大統領選にも投票できるが、島にいる限り、大統領選に投票することができない。連邦からハイウェイや社会福祉への補助金は出るものの、他の州への補助金に比べれば額が少ない。プエルトリコは、現在730億ドルの負債を抱え、今年5月3日に破産宣言をした。が、連邦は監督者を任命し、厳しい経済管理を押し付けている。連邦による厳しい緊縮政策を、古い植民地支配への逆戻りであり、プエルトリコの国民から自国を民主的に管理する権限をいっさい奪うものだとし、批判する人々も少なくない。失業率は11パーセントを超え、住民の半数は、貧困ライン以下の暮らしを余儀なくされている。


また、これとは別に、基地被害もある。特に、本島の東側に位置するビエケス島は、大変な災厄を被った。プエルトリコ全体の面積の20分の1にも満たないこの小島は、1940年代以来、米国海軍の爆撃演習場として使われ、島民による粘り強い反演習闘争の末、2003年に演習場は放棄されたが、1999年には誤爆により民間警備員が死亡するという悲劇も起きた。現在にいたるも、爆発物の処理や環境除染は殆ど進んでおらず、住民多数に重金属その他の有害物質の体内蓄積が報告され、癌発生率 も異常な高率のままだ。

2017年6月11日、ニューヨークでプエルトリカン・パレードが繰り広げられた日、プエルトリコでは、プエルトリコを米国の州にすることを求める住民投票が行われ、97%の投票者が支持を表明した。しかし、この投票は実効力をもたない。州への格上げを決めることができるのは、アメリカの連邦議会での議決だ。州ではなく、独立を求める声も高く、投票をボイコットする人たちも多く、投票率は23%にとどまった。

6月8日夜のスピーチで、オスカーは、ハワイを例にあげ、先住民の人口比例がきわめて低いハワイで、刑務所に行けば先住民があふれている、このまま州になるとはそういうことだと指摘し、植民地体制からの脱却が何よりも大切だと、人々の連帯を熱く訴えた。

参考資料:
https://jp.globalvoices.org/2014/02/05/26402/  「海が呼吸する場所」:プエルトリコの政治犯より 刑務所からの手紙
https://www.democracynow.org/2017/6/8/oscar_lopez_rivera_speaks_out_on

Text= Hideko Otake

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