話題の人、伊藤詩織さんが3月半ば、NYにいらして弁護士の伊藤和子さん(Human Rights Now)と一緒に日本語と英語でトーク/シンポジウムが開かれた。
アメリカでも「#MeToo運動」がもりあがったばかり。なので、日本語の会では在NYの働く女性たち、英語の会はNY法曹界の女性たちを中心に会場は満員。関心の高さが一目瞭然。
日本語の会ではまずは人権弁護士の伊藤和子さんから、日本の社会で女性たちの人権が制度的にいかに弱い立場におかれているか、声をあげてもバッシングの的になる、人権よりもともと人権違反の雇用契約を守るのが人の道と若い子たちですら信じ切っているらしき日本の世相、声をあげる人が被りかねないリスクを思えば「#MeToo運動」もおこせない現状(#WeToo運動ならありか、というのが救い)の説明があり、もちろん威張っているほど完璧では全然ないけれど、少なくとも#MeToo運動が(それも、ようやくだけれども)起こせたアメリカで暮らす私たちは、「おお、なんと」と口をあんぐりと開け「女性が輝く」はずもない日本に思いをはせた。
その中での伊藤和子さんのがんばり(アダルトビデオ出演を拒否した女性に対して契約を結んでいたプロダクション業者が違約金の支払いを求めた訴訟で出演拒否女性の弁護団に参加し、勝訴したなど)頼もしい。
実は伊藤詩織さんが被害を受けたレイプ事件のことをはじめて聞いたとき、「え、いまもそうか!」と思った。もう何十年も前になるけれどNYに来たばかりの頃、日本のメディアのNY取材の手伝いをしたことがあった。レイプにはあわなかったものの「やばくなりかけた」ことは何回かあった。同じ頃に同じような仕事をしていた友達に最近、聞いたら、「え、全然、そんな目にあったことない」という。
思うに、まずは、こちらと相手の力関係。有力者の引きがあるとなると、相手は用心する。次にこちらのステータス。独身で同居しているボーイフレンドがいるとわかると、どういうわけか、「あ、こいつは誰とでも寝る尻軽だ」というジャンルにいれられるようだった。
「あのね、好きな人がいたら寝るかもしれないけど、あんたなんか、問題外の外なんよ」ということが、まったく理解できないようなのだ。
あとは、おそらく、その人の自信。日本では、有力メディアのぱきぱきの記者としていばりまくっているのに、外に出ると英語わからないから、もうだめ。若い女の子の語学が頼り。こいつを落とさなきゃ、男の立つ瀬がない。
とまあ、そんなところが私の解釈だけど、もしかしたらただ、ともかくスケベな男たちだったのかもしれない。
もちろん、一緒に仕事した方たちが全員、そんなではなくて、尊敬できる方々も大勢いましたが。
ともあれ、伊藤詩織さんは、心も姿もピュアで、自分の身におきてしまったことが、他の人に(特に最愛の妹さんのことを思い)繰り返されることがないようにと、きちんとリサーチや取材もして社会を変えていこうと取り組んでいられる。芯の強さと誠実さがあふれでている人なので、こんな女性をゆきがけの駄賃みたいに扱い、貶め、へいちゃらなクソ男にめちゃくちゃ、腹がたった。
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