2019年6月14日金曜日

因縁のマイケル・ムーアと原一男。原一男6作品MOMAで上映

June 13, 2019 published




66日から14日までNYMOMAフィルムセンターで開かれたCamera Obtrusa The Action Documentaries of Kazuo Hara(カメラ・オブストルーサ:原一男のアクション・ドキュメンタリー)は、驚きの連続だった。

驚きその1。マイケル・ムーアが「日本のsoul brother」と呼ぶほどの原ファンだと知ったこと。で、マイケル・ムーアが『ゆきゆきて神軍』の上映に来てQ&Aセッションの司会をやった。MOMAならではの、豪華キャスト。満員御礼の売り切れとなった。


驚きその2。原さんのキャラ。立て板に水のトークが、めちゃくちゃ面白い。大昔に見た『極私的エロス・恋歌1974』のナレーションで当時の原さんのひょろひょろと繊細な声を聞いていたので、正直、期待していなかった。が、声の張りからしてもう、別人。撮影・制作裏話をサービス精神満タンで教えてくれる。映画の良さ、面白さをもっと深くわかるまでは逃がしませんからねといわんばかりの貪欲な迫力。驚いたあ。

驚きその3。原さんトークにすっかりはまって調べたら、あるんですね、ネットにどっさり。(ニコニコの期限限定「朝まで、原一男」は、なんと7時間を超す)。おまけにマイケル・ムーアと原さん、この2人にフォーカスを当てたイベントがすでに10年以上も前にミシガン大学で開かれていたこともついでに発見。




おかげでまるまる1週間を原作品・原トークざんまいで過ごすこととなった。せっかくだから、まだこれからの人たちに引導を渡すために、原トークのお裾わけをしておこうと思う。

原一男 vs マイケル・ムーア

まずは、MOMAでのマイケル・ムーアと原監督との対話から。


マイケル・ムーアは、まず、こう口を切った。「『ゆきゆきて神軍』を発見したのは、『ロジャー&ミー』を作っていたときでした」。

『ロジャー&ミー』は、ムーアの生まれ故郷ミシガン州フリントで自動車工場が閉鎖され失業者が増大したことを題材にしている。責任代表者であるゼネラルモーターズ会長にムーアがアポ無しで突撃取材を試みる。庶民目線に立ち、権力者に生身で無手勝流、果敢な対決を挑む。権力構造に挑戦しながらも笑いがいっぱいの、マイケル・ムーアの世界を確立し、ドキュメンタリー映画史にとって重要な作品となった。

が、作りながらムーアは、心配だった。これまで自分が見てきたドキュメンタリーとは違う、撮られる世界に作者がのめり込みなだれこむ作品。こんなことして、いいのだろうか。『神軍』をみて勇気をもらったとムーアは言う。「あるべき」と思いこんでいた「ドキュメンタリーの一般文法」から解き放ってくれた、と。


筆者にとっては30数年ぶりの、『ゆきゆきて神軍』。始めてみた時はなぜだかNYのチャイナタウンの映画館を借り切っての上映会だった。

The Emporer’s Naked Army Marches On. 1987. Directed by Kazuo Hara. Courtesy Kino International Corp./Photofest.

久しぶりに見た『神軍』は、オープニング・シーンからしてシュールだった。

「田中角栄を殺せ!」とアジビラ風にびっしり書き込まれた車に乗った主人公、奥崎謙三が、農村の結婚式の仲人を頼まれてでかけていく。昭和文芸大作ともみまがう華やかな映像でとらえられた結婚式のシーン。自己紹介を兼ねた媒酌人挨拶の中で、自分の素性を得々と語る奥崎さん。殺人事件で何年、刑務所にはいった。その後、皇居でのお正月参賀で天皇に向かってパチン玉を撃った。東京のデパートの屋上から天皇ポルノビラをまいた。裁判では、チンポコをだし、判事に小便をひっかけた、うんぬんかんぬん。




自分は13000人中、帰還者が1000人足らずだったと言われるニューギニアでの激戦から神のご加護で無事、生還できた。亡くなった兵士たちの供養をしてまわっているが、戦後、まったく責任を取らずにのうのうと生き延びている天皇を許せない。のどかな農村のおめでたい結婚式で、戦争責任者への怨念と懲罰に向けた暴力も辞さないアクションへの誓いを場違いなどくそくらえとばかりに宣言するのだ。

演じ続けた奥崎謙三

MOMAでの30分あまりの短いセッションで、ムーアが焦点を当てたのは「暴力」だった。

「ニューギニアで部下をリンチ同然に処刑し、その人肉を食べたとおぼしき上官を映画の主役である奥崎さんが殴るのを見て、正直、カタルシスを感じます。でもその後、中隊長の息子を射殺し、直接、罪もない次世代を処刑したことを正当化しようとする奥崎さんの言い分は、倫理的にどうなんだ」と。

「奥崎謙三さんという人を理解するには、時間がかかりました」と、原さんは応え、こう続けた。奥崎さんが目的のためには暴力を使うことを正当化する。それは半分、あたっている。「でも、あとの半分は、彼は商人なんですよ。どういう風に動けば、映画が受けるかという判断をいつもする。この映画全編を通して、演じているという感覚をずーっともってる人なんです」。



こんな例を原さんはあげた。たとえば、拘置所に行くシーン。奥崎さんには自分独自の神のイメージがあり、神殿を建てたいと思っている。その神殿って、どんなイメージかと聞くと、拘置所の独居房かなと言うので、一緒に見に行くのだが、警備員が大勢出てきて門前払いをくわされる。その警備員たちに奥崎さんが悪態の放題をつくして罵倒する。なんで、こんなに怒るのか、わけがわからないまま、カメラをまわした。撮り終えた後、奥崎さんは言った。「原さん、いまの演技はいかがでしたか?」監督は卒倒しそうなほど、驚いた。

カメラの前で主人公が演技するドキュメンタリー。これは、ノンフィクションなのかフィクションなのか。だが、原さんは、奥崎さんひとりにストーリーを書かせたわけでは毛頭なかった。


最初、奥崎さんは、戦争の話を映画の軸にすえることに乗り気ではなかった。戦後36年がたっており、戦争の話の映画なんて誰もみやしないと思い込んでいた。

実は、奥崎さんがやりたかったのは犯罪。たとえば、こんな映像を思い描いていた。815日の終戦記念日に、大きな花束をもって奥崎さんが靖国神社に参拝する。花束の中には日本刀が仕込んである。神社の一番の奥の神殿についたら、花束の中から刀を引き抜いて斬りかかる。

「世界にはドキュメンタリー作家が大勢いる。だけど、殺しの場面を撮れる映画監督は、原さん以外にいませんよ。これは、原さんに対する私のプレセントです」と、奥崎さんは原さんを誘惑した。


昭和の日本を描く


「この映画には、人肉事件をミステリーを追っかけるシーンと戦友たちを訪ねて奥崎さんが慰霊をするという要素がある。犯罪に走ろうとする奥崎さんの衝動をおさえて、奥崎さんが上官たちを訪ね、戦地で起きた人肉事件を追及するというストーリーにもっていったのは自分だ」と、原さんは言う。


ここらを掘り下げて、別のトークで原さんはこうも言っている。

「私は、奥崎さんを描くことで、戦後36年たった日本の状況をなんとか映像化できないかなあという風に思ってたんです。奥崎さんが元兵士たちを訪ねていく、これは真相を追求するという意味合いもありますけれども、それ以上に、奥崎さんは、ひたすら国家権力に向かってというか天皇制に対してケンカを売り続けている、その奥崎さんの戦後という時間の中の生き方と、奥崎さんと同じように生きて帰った元兵士たちが、[戦争を忘れ去ったかのように]家庭にはいって生きてきた時間。それの対比をすることで、その当時の日本というものが、何を意味しているのだろうかということを描こうと考えたんです。


もろ戦争を描くというんじゃなくて、戦争といまの現代日本が続いてるんだっていう感覚があるんですよね。だから、戦争の隠された真相をあばこうというのが、必ずしも主目的ではないんです。率直にいいまして私が何に一番興味があったかっていったら、国家権力、体制、システム、天皇制に対してたった一人でけんかを売り続けているという、そのエネルギー、それを描きたかった」。

また、奥崎さんの暴力について別の角度から触れたトークもある。

上官を訪ねての追及の中で、奥崎さんはそれぞれ別々に2人の相手に殴りかかる。でも、最初の人を殴ったとき、自分は「手加減して殴った」と奥崎さんは映画の中で口にしている。「この言葉は本当だろうと私は思う」と原さんは言う。殴られた相手がもう言うしかないあな、とあきらめる。それを計算して殴っている。「告白させるために、殴る。商人だからね、ある意味」。

とは言うものの、「中隊長さんの息子さんを銃で撃った。これは、そういう言い訳はできないです。まぎれもなく暴力です。奥崎さんの思想は非常に危険だと思います。テロリズムの発想です。私はそれは、弁護する気はないんです。しかし、テロリズムという考え方を世界的にみると、どこか一抹の支持を受けてる。戦争の問題はそういう形で尾を引くと思います」とも。

奥崎さんという人は、昭和という時代だから受け入れられたといういう気がしてならない。映画が完成して1年たって昭和天皇がなくなった。もしこれが10年遅れて私達が奥崎さんと出会って映画をとっていたら、きっとたたかれただろうっていう気がしてなりません。これはまさしく昭和の映画なんだという感じがしてしょうがないですね」




危険な国へと進む日本


時代ということでは、MOMAでのセッションでマイケル・ムーアもアメリカのいまに深い懸念を口にした。ムーアのお父さんもおそらく奥崎さんがいた頃、米海兵隊の一兵士としてニューギニアに派兵されていた。クリスマスの日、お父さんの部隊は、彼らを日本兵を誤認した米軍機の射撃を受け、16人中、ムーアのお父さんをのぞく15人が死傷した。お父さんは生きて帰国できたけれど、伯父さんはフィリピンで狙撃されて戦死している。

「かつての敵国だったそんな日本もそしてドイツの人たちもいまでは平和を愛する人たちにみえる。でも、いまのアメリカは内戦が起きても不思議じゃないほどに分裂してしまっている」と、ムーアは続けた。MOMAからほんの2ブロックほど先のトランプタワーの住人トランプのために祈ろうとキリスト教右派のリーダーが呼びかけて、この日曜には全米各地の数千もの教会で信徒がトランプへの加護を神に祈った。アメリカ人が保有する銃の数は、36000万丁にのぼっている。自分の身を守るという言い分で、暴力がはびこる。こんなアメリカが、どう見えますか?

ムーアのシリアスな問いを原さんは、こう受けた。「日本の首相は、トランプの番犬といわれています。いまの総理大臣は戦争をしたくてしょうがない。日本人にとって戦争は、第2次大戦。の記憶をもっている人がみな、年取ってどんどん死んでいる。私は防空壕で生まれということもあり、まだ、戦争のこわさをどこかで記憶し引き継いでいる。でも、いまの政権がどんどん憲法を壊していってもそのことのもっている危険性に気が付く日本人は、いまとても少ない。でもアメリカ人は、そこに気づいている。戦争というもののこわさはちゃんと語りつがないといけない。リアリティをもっていない日本人がいまものすごく多い。だから、日本はこれからとても危険な国になるだろう」

もがき暴くアナーキーなアクションドキュメンタリー


Q&Aセッションでは、会場から「どうして見る者がこんなに居心地悪く感じる映画ばかり撮るのですか?」という質問も出た。原さんは、にんまりと笑った。「人間て誰でも隠したいことをいっぱいもっている。そういうことを、なんで、なんで、どうして、どうして、と聞くのが好きなタイプなんだろうと思います。」

で、時間もなくその場はそれで終わったのだが、実は、原さんの人生哲学の核心につながる問いなのだった。原さんの著書の中にこんな一節がある。



「もちろん、そういった隠さなければならないという恥の感情を支えているのは、社会の約束事だ。そういった恥ずかしいという気持ちを引き起こしている制度化されたイデオロギーを完膚なきまでに打ち壊したい。人は生きていく中でネガティブなものを抱えているからこそ、ポジティブなものを探そうとする。こうした矛盾がひとりひとりの生きようとする意志の構造の源泉だと思う。カメラを武器にして人の中にどんどんわけいり、人間という存在の全容をみたい。どこまで、掘り下げられるか。撮る相手と闘いながら撮っている」[注:原さんの日本語での発言が英語に訳されたものを、日本語に訳し戻そうとしているので、もしかしたら、最初の発言から、ずれてしまっているかもしれないけれど。翻訳糸電話効果で]。

また、こうも言う。「奥崎さんにとっては、犯罪が表現であり、表現を求める原衝動にかられている。自分が木っ端みじんに壊れる瞬間、その時に自由を感じられる。奥崎さんは刑務所の中でだけ自由を感じていられるんだ」「自分も作品を作っていて1本に1回くらい、自分が壊れる一瞬があり、それを追い求めている」と。


Mata no Hi no Chika (The Many Faces of Chika). 2005. Japan. Directed by Kazuo Hara. Courtesy the filmmaker

壊れること。自分で壊していくこと。唯一の劇映画『またの日の知華』(パートナーの小林佐智子さんが脚本を書いた)では世間の価値観から見て「墜ちていく」ことに解放を見る主人公にこの美学が結集され、辺境に赴き、飼い慣らされない野生を求める『極私的エロス・恋歌1974』の主人公の生き様もここにつながる。

Kyokushiteki Erosu Koiuta 1974 (Extreme Private Eros: Love Song 1974). 1974. Japan. Directed by Kazuo Hara. Courtesy the filmmaker

小説家・井上光晴を主人公にしたドキュメンタリー作品『全身小説家』では、井上が書き綴りくり返し語ってきた自らのおいたちや子供時代・青春の記憶まったくの嘘(フィクション)だったことが映画の進行と共にばりばりと見破られてくる。そんな井上さんについて、「業が深い!」とした書き込みを受け、生トーク中の原さんは、言い放った「業が深いんですよ!業が深くなかったら、面白くもなんともないですよ、人生なんて」。




カメラをかまえて挑み、業をさらせ、もっとさらせと相手を追い詰める。追い詰められ社会からはめられてきたがが壊れるとき、自由を感じ、解放された自分を発見する。

「自己変革」(後に時代と共にメロー化して「自分探し」に陥った)。アクションが、「自分」を「壊す」求道をめざして行われるという点で、原一男とマイケル・ムーアは、徹底的に違っている。原の方が、ラディカルでアナーキーなのは確かだけれど、だからってどっちの方が偉いという話ではない。

原さん自身は、マイケル・ムーアと自分との違いを、こう語っている(らしい。これまた、日本語の英訳からの日本語戻し)。

「観客の感情をかきたてて奮い立たせる。マイケルは、ことばを通してこれをやるけれど、私は身体を使う。私の映画を見た後で、観客が自分も行動をおこしたい、身体を使って何かしたという欲求にかられる。そんな風にしたいんです。そういう風に観客の身体を拉致(kidnapと訳されているけれど、もともとの日本語でなんといったのだろう?)したいんです」。

Sayounara CP (Goodbye CP). 1972. Japan. Directed by Kazuo Hara. Courtesy the filmmaker

身体という意味で、今回のMOMAのシリーズで、個人的にもっともすさまじい衝撃を受けたのは、処女作『さようならCP』だった。脳性麻痺で身体も「ふつうに」動かなければ、言語障害もある主人公たちが、車椅子から降りて道をはいずり、自作の詩を「朗読」する。「見ろ見ろ、聞け聞け」と道ゆく人に「障害」をさらして迫るのだ。閉ざされ守られている家から一歩外に出れば、そこにいるだけで人目をひき、あるいは目をそらされてしまう。「異形の存在」だと思い知らされてきた彼らが、カメラを手に健常者の前に接近して相手を被写体にすることで権力構造を逆転させようとする場面もある。

人が醜いという肉体を人前で真っ裸になってさらしたい。が、それはとてつもなく怖いことでもある。ケンカを売りながら撮ったと原さんがいうが、原さん、そしてパートナーの小林佐智子さんが、家族にひきとめられそうになる主人公・横田弘さんを崖っぷちから落とさんばかりの気迫で口説き、ものすごい作品を完成させた。
かわいそう、お気の毒、見てはいけない、という健常者の上から目線は壊され、相手をひとりの人として見る土台ができる。健常者と同じシステムの中で暮らすには、手間も時間もひと一倍かかるし、語ることばも聞き取りが難しい。だが、CPの人たちの知性と闘志に観客ははじめて気づく。

相模原殺人事件なんて、とんでもない。殺されてたまるか。横田さんがリーダーだった、神奈川・青い芝の会のメンバーたちは、映画完成から数年たった1977年には、路線バスでの車椅子障害者に対する乗車拒否が相次いだことに対し、「バス闘争(川崎バス闘争)」を展開した。「強引にバスに乗り込んだり、バスの前に座り込んで運行を止めたり、バスの中で消火液をぶちまけるなどの実力行使」を行い、公共交通機関の障害者アクセスに一石を投じた。すごいパワーだ。

疾走をめざす原さん。原さんは、井上光晴の人生観に強い共感をもっていて井上のことば「上品に激烈に、やりたいことを全部やる」「何度、自分を引きちぎったかわからない」自分を壊して壊して「第3の自分を作りだすんです」に、深くうなずく。

8時間の大作『水俣』へ

走りたいのだ。だが。「実は私は、アクションドキュメンタリーといいまして、きわだった個性をもった人たちを主人公にして映画を作ってきたんですよ。で、時代が平成になって奥崎さんを筆頭とする非常に個性の強い主人公、いまどこ探してもいません、日本に。いないんです。なぜならば、そういう生き方を時代が許さなくなったからですよ」


では荒ぶる鬼が姿を消した時代に、何を撮るのか。『ニッポン国VS泉南石綿村』の主人公たちは、それまでの「表現者」たちとはうってかわった「生活者」たち、石綿工場で働き、被害者たちだ。懸命に働いて生きてきたいい人たち。監督が撮られる相手にとても優しく接し、完成した作品をみて撮られた人たちが心から喜んでくれたただひとつの作品だとMOMAでの上映で小林幸子さんは言い、観客を笑わせた。

相手とぎりぎりの格闘をしながら撮ってきたアクション・ドキュメンタリーに戻れないことに、いま監督は寂しさを隠せない。





だが、かつてのアクション・ドキュメンタリーも、光り輝く主人公だけでできあがっているわけでは、もちろん、なかった。忘れられない名脇役たちが大勢いたのだ。奥崎謙三さんのお連れ合い、武田美由紀さんの沖縄での黒人バーで仲良しになったバーガール仲間のおばちゃん、横田弘さんのお連れ合い、先生・井上光晴さんへの発情をむんむんと香らせるお弟子さんたち。『石綿村』は、こういったかつての味のある名脇役たちの流れをくむ人たちが、たくさん登場する、アンサンブル・プレイだ。その忘れがたい人たちがひとりひとり、裁判闘争を闘いながら、命を落としたり、裁判からはじき出されて負けていく。

原さんの作品を見ながら、私が涙をこぼしたのは、いまのところ、この作品だけ。泣いておしまいにされてたまるかと、原さんは思うかもしれない。裁判後、ようやく被害者を訪れて優しい顔をしてみせる大臣にバカにされてどうするんだと被害者に対して、内心、忸怩たる思いもあったかもしれない。が、これもまた、現実だ。


MOMAの上映会では、現在、編集の最終段階にあるという新作『水俣』のさわりも公開された。上映時間8時間になる予定だそうだが、土本典昭監督作品とは、まったく違う斬り込みになるに違いない。公開が待たれます。


2019年6月8日土曜日

クイーンズのプライド・パレード 社会は変わる 嬉しく変える



富美子さん&エレノオさんに大喝采!


LGBTQのプライドを祝す、クイーンズのQueens Pride 2019 パレード。アメリカでもほんの50年ほど前までは、同性の人たちが愛し合うことは犯罪史されていた。ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール」で警官の手入れに抗議して居合わせた人たちが警官に向かってハイヒールを投げつけたりして果敢に立ち向かい同性愛者の権利獲得運動にとって歴史的な一歩を記したのが、1969年6月28日。マンハッタンでは、28日に国際的な規模で50周年が祝われる。




6月2日にクイーンズで行われたパレードに、「32年間、一緒です」というサインを手に富美子さんとエレノアが参加。二人が歩くと拍手がまきおこり、「うわあ。32年だって」という声があがる。きっと、こうして二人で仲良く歩くことは、苦しい体験もたくさん背負わされながら、自分を貫いてきたふたりの喜びと誇りの表れであるとともに、勝ち得た権利を守り強めていくための闘いのひとつでもあるのだろう。Happy 32 years together, Fumiko & Eleanor!

2019年6月4日火曜日

立ち現れた記憶を引き継ぐ。NYでの『沈黙:立ち上がる慰安婦』上映会




「生存者は現在、22人。平均年齢が高齢化し、90歳台になっています。今年になってもう3人亡くなりました」

416日、マンハッタンのコミュニティ・カレッジで行われたドキュメンタリー映画『沈黙:立ち上がる慰安婦』上映会で、朴麻衣さん(パク・スナム監督の長女。監督を支え、編集・プロデューサーを担当した)は、慰安婦被害者たち本人に残された時間がごく限られていることを、あらためて明らかにした。

この映画が描いた天皇・日本政府の謝罪を求めて1990年代半ばに来日して日本にやって来た朝鮮の慰安婦たちの闘いに登場するハルモニたち15人中、生存者はわずか4名だとも言う。

おかした罪を隠蔽し政府同志のボス交で過去をもみ消そうとする日本政府と、天皇制を盾にして諦めを強いる日本社会の無慈悲。身ひとつで立ち向かい、知恵を絞り、怒りと嘆き、叫びの限りを尽くして恨(ハン)を晴らそうとするハルモニたち。その闘いの姿、さまざまな支援と立場の違いによる運動のぶつかり合いが映画はダイナミックにとらえる。

NY上映会での朴麻衣さん

2019年5月30日木曜日

追悼の向かう先・ベテランズ・フォー・ピース、メモリアル・デーの願い

2019年5月26 日、悲しくなるほど青い空。自由の女神を背景に戦没者たちの碑が並ぶマンハッタンの南端バッテリーパークでの、ベテランズ・フォー・ピースNY代表のスーザン・シュナール(Susan Schnall)のパワフルなスピーチ(抜粋)です。


「アメリカよ、目をさまし耳を貸してほしい。私たちはこの国の中で、この地で、戦争をしている。自分たちの子供を殺し、世界最多の武器、戦艦、ボタンをひと押しするだけでコミュニティをごっそり殲滅できるドローンを製造する、世界のモンスターになってしまった。自国の若者を殺害し、何の責めも受けずに学童たちを殺し、水と食糧供給に毒を盛り、金持ちにすべてを与えています。経済的富と政治権力をどっさり。彼らがさらに多くのパワーとお金を手にするために。貧しい人たちは食べるものに事欠き、住む場所も教育も劣悪で、まともな職につく機会も不足している。そんな状況から抜け出すにはと差し出されるのが、軍にはいる道。軍の武器で警察を武装させて破壊し殺害する。貧しくて特権をもたない連中には、裁判なんて不要だとばかりに」



2019年5月29日水曜日

『ハミルトン』をぶっとばせ! イシュマエル・リードの風刺芝居がNYでオープン



イシュマエル・リードの風刺芝居“The Haunting of Lin-Manuel Mirand”(『亡霊に取り憑かれたリン=マニュエル・ミランダ』)が、イースト・ビレッジの Nuyorican Poetry Caféで始まった。今年80歳、黒人の詩人・作家・劇作家・編集者・アクティビストとして、アメリカ社会の主流をなす思考の中で目や耳をふさがれてきたアフリカ系アメリカ人が残したことばや、彼らが生きた体験を何十年間にもわたって掘り起こしてきたリードには、ハミルトンを奴隷解放論者として描いたミランダのブロードウェイ大ヒット作『ハミルトン』の史観は、あまりといえばあまりだったに違いない。


『亡霊に取り憑かれたリン=マニュエル・ミランダ』では、プエルトリコ系のミランダが、悪夢の中で続々と登場する亡霊たちに叱られる。黒人奴隷、先住民、白人の年季奉公奴隷、そしてきわめつけは、ハリエット・タブマン。タブマンは逃亡奴隷の身でありながら、奴隷たちをカナダに逃がす「地下鉄道(Underground Railroad)」を組織し、奴隷州に潜入して黒人解放に貢献した歴史的な人物だ。

2019年5月27日月曜日

ラッパーで元米海兵隊員マイルス・メガサイフ 『命どぅ宝』沖縄への想い




1995年には、キャンプ・シュワブにいた。少女が・・」と言ったまま、マイルスはうなだれ、次のことばを口にすることができなかった。

マイルス・メガサイフ、44歳。ラッパー。元米海兵隊員。17歳で軍に志願し、キューバのグアンタナモ基地を経て、沖縄に送られた。9.11はまだ起きず、当時、アメリカはボスニアで空爆などを行っていたが、マイルスは前線に派遣されることはなかった。



2019年3月30日土曜日

NY総領事館前スタンディング 辺野古新工区への埋立開始強行に抗議


3月25日に辺野古で強行された新工区への埋立開始。
安倍首相が26日に米海兵隊のネラー総司令官と東京で会うことになっていて、土砂投入開始をそのときのみやげがわりに(「ボス、ちゃんと仕事をしてますぜ」)したかったという記事を読んで、恥じ入った。安倍も安倍だが、ネラーは、普天間は、もともと空き地だったのに飛行場が出来てから人がわざわざまわりにやってきて危険になった、としゃあしゃあと言ってのけた、傲慢な奴だ。



2019年3月26日火曜日

グラニー平和部隊 NY総領事館前で、イエメン戦争に抗議

2019 年3月25日、サウジ主導のイエメンでの戦争 明日で5年目に突入。グラニー平和部隊 NY総領事館前で抗議しました。



2015年3月26日、サウジラビアなどの連合軍がイエメンに軍事介入を開始。先の見えない泥沼化の中で4年がたちました。3月25日、グラニー平和部隊からの緊急よびかけで、NYのサウジアラビア総領事館でスタンディング。道ゆく人たちに戦争停止をアピールしました。

2019年2月8日金曜日

NYでデニってる!

Nov. 9, 2018

デニーさん、NYで沖縄を思う皆がデニってるしてお待ち申し上げておりま~す!


*アン・ライト(Ann Wright):ベテランズ・フォー・ピース、コードピンク


*
ニディア・リーフ(Nydia Leaf: グラニー平和部隊

辺野古NO:緊急スタンディング NY日本総領事館前

Oct 31, 2018

またまた来ました、NY日本総領事館前。辺野古土砂投入開始が明日にも、というとんでもない事態。

昨日、寒空の下、Shizuさん作「辺野古新基地反対」のバナーを手にひとり同じ場所に立ったあきこさん。写真を撮ってくれる人もなく、愛用の自転車にバナーをかけて撮影するはめに。



これはいかんと、今日は急遽、かけつけられる人が集まった。仕事のあいまのひーでー(社長さ~ん、ご出張、お疲れさまでございます!)とわかこさん。ニュージャージーから遠路はるばるの真海さん。NY訪問間近いデニーさんの日本政府への憤りをとりあげたワシントンポスト紙の記事をチラシにしてまく、といえばチラシまきの巨匠、ふみこさんが、もちろん、欠かせない。

通り過ぎる人たちの顔が、今日はえらく暗くて不機嫌。冬が近いせいか、世の中が面白くないためか。見てると気がくさくさするので、なんか叫ぼうということになった。

ベイビートランプがやって来た

Oct 28, 2018


ベイビー・トランプがやって来た。携帯を手にダダこね顔のおむつ姿のベイビー・トランプ。生まれはロンドン。高さ20フィートのバルーンは、今年7月、ロンドンにやってくるトランプに「歓迎されざる訪問者」だということを思い知らせるために造られて空に浮かび、大人気を博した。それ以来、45か所を歴訪し、外交に励んでいる。



ニューヨークにやって来たのは、1028日の日曜日。行ってみたら、どういうわけか、ベイビーは空に浮かばず、地上に鎮座ましましてフォトオプの恰好の材料になっていた。

アメリカでは中間選挙が間近。4年ごとの大統領選の中間にはいるこの選挙は、連邦議会の下院議員全員、上院の3分の1が選挙され、大統領への国民の支持をはかる大きなバロメーターとされている。ベイビーは中間選挙を目前にした「トランプ弾劾集会」の大きなよびもの。

鳥かごに入れられた鷲と斧を手に、張り子のトランプになりきっているのは、うちの裏通りに住んでいるエリックさん。7月にジョギング姿で自由の女神像の足元までよじ登り(元気!)、トランプの移民政策に抗議したコンゴ民主共和国出身の移民アクティビスト、パトリシア・オクムさんもトランプ打倒に熱弁をふるった。

沖縄へのメッセージ NY総領事館前 2018年10月25日

Oct 25, 2018

デニーさん当選ではっきり示された辺野古新基地NOの沖縄の民意。聞き耳もたず、恥ずかしげもなく奇策を弄して土砂投入をはかる安倍政権。民主主義国を名乗るなら、踏みとどまり、まずは話し合いをしろという声が、アメリカの主要紙ニューヨークタイムズの社説にもなった。そんな中、NYの総領事館前で日本政府への抗議をこめて、緊急スタンディング。

参加してくださった私たちの地元NYの皆さんの心優しい生の声をお届けします。




**ニディア・リーフ(Nydia Leaf)さん。
今日、私がここにいるのは沖縄の皆さんと思いをひとつにしているからです。アメリカ政府は、自分の国をどうしたいか、自己決定する権利をもつ人々に基地を押しつけている。恥ずべきことです。アメリカ合衆国は外交ではなく軍事力を用いて、民衆を無視し、ほしいものは手に入れると主張しています。私はそんな母国が、恥ずかしい。沖縄の皆さんがなさっていること、なさってきたことをとても誇りに思います。皆さんの抵抗は、この国に住む一人の人間である私にインスピレーションを与えてくれています。この国の政府が考えているのは、戦争とお金のことだけ。ですから、こうしてアクティビストの仲間たちと一緒にこの抗議スタンディングを共にし、「沖縄の皆さん、ありがとう」と口にすることができることを誇らしく思っています。数年前に翁長知事にお目にかかる光栄に浴しました。大きな部屋で私は観衆の一人に過ぎませんでしたが、卓越した特別な方なのがわかりました。そんなこともあって、沖縄の皆さんと私とのつながりは、とても強いのです。アリガトウ。ニディア・リーフ、ニューヨークの住人です。

**ジュールズ・オーキン(Jules Orkin)さん
ジュールズ・オーキンです。今日、ここニューヨークにいるのは、皆さんが沖縄でなさっている基地撤去の活動に全面的に賛同しているからです。沖縄には二度行ったことがあり、ピースウォークに参加しました。国土のわずか0.6パーセントの土地に75パーセントの米軍基地が押しつけられるという理不尽がなされていることを知っています。沖縄の皆さんが選出した知事たちも基地反対を唱えています。ニューヨークの人たちに沖縄で何が起きているかを知らせるため、私にできることがあれば、なんでも喜んでやります。

**アリス・スターム・サター(Alice Sturm Sutter)さん
アリス・スターム・サターです。今日は、このビューティフルな生き物、ジュゴンと一緒にここに立つことができて光栄です。ジュゴンのことを知るようになったのは、沖縄のおぞましい基地の拡張のおかげで絶滅の危機にさらされているという話を聞いた時からです。まわりの美しい地域も破壊するなんて、とんでもないことです。アメリカがやってることには、ぞっとさせられます。あらゆる基地を閉鎖し、すべての戦争を止め、地球の破壊を止める必要があります。母国アメリカが沖縄でやっていることに心が折れる思いがします。ですから、今日ここにいられてとても光栄です。声をあげ続けてくださってありがとうございます。

**サラ・マナスラー(Sarah Manasrah)さん
コードピング:ウィメンズ・フォー・ピースのサラ・マナスラーです。今日は、アメリカ合衆国に世界の軍事化をやめるよう訴えるためにここに立っています。世界を軍事化する必要などン無いし、軍に絶えることなく巨額のお金を投資して、世界の人たちを殺傷し、恐怖に陥れる必要もありません。そんなお金は持ち帰り、健康保険や教育に使うべきです。今日、ここに立ったのは平和のためです。沖縄の人々と共に、平和の実現を唱えたいと思います。

**トルーディ・シルバー(Trudy Silver)さん
トルーディ・シルバーです。長年、戦争反対、軍事反対の活動をしています。いま65歳です。ハーレムで音楽の教師をしていて、最近、引退したばかりです。今日、ここに来て、戦争を終わらせようと一緒に声をあげることができて本当に嬉しく思います。私たちは11月8日にサウジアラビア総領事館前で抗議し市民的不服従のアクションを行うことにしています。そこでは、集まった人たちがまたしても身を挺して戦争反対の意を表します。武器取引、基地撤廃、すべてが戦争反対につながります。

**マーティ・グッドマン(Marty Goodman)さん
米軍基地にNO。アメリカは沖縄から出て行け!いますぐ。撤退しろ。戦争やめろ。軍隊反対。基地反対。マーティ・グッドマンです。

**リチェンダ・クレイマー(Richenda Kramer)さん
リチェンダ・クレイマーです。グラニー平和部隊と怒れるグラニーのメンバーです。沖縄に基地を置き、さらに新しい基地を作ろうとしている。アメリカがやっていることは、ひどすぎます。日本の政府も起ち上がって、それにノーと言おうとしない。沖縄の人たちが、アメリカ主導の基地のためにいつもこんな風に、苦しまなければならないのか。私たちは、これを止めなければいけません。もう戦争はこりごりです。



Women's March on the Pentagonで沖縄アピール



Oct 21, 2018


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21日に行われた、Women's March on the Pentagon。女の人たちが集まってペンタゴンに反戦のデモをし、男たちも参加歓迎。ワシントンに来られない人は、各地でイベントを仕掛けてね、という全米的呼びかけだった。




正直、反戦運動は、アメリカでいま、あまり元気がない。ワシントンでの集会を1年がかりで仕掛けたシンディ・シーハンが、最近ワシントン・ポスト紙に苦い思いを書き綴っていた。




イラク戦争で兵士として従軍していた息子を亡くしたシンディ。時のブッシュ大統領に一度は会ったけれど、イラク戦争を起こした義をとても納得できず、再度、問い詰めたいとブッシュのテキサスの牧場近くに乗り込んで野営して立ち去らず、反戦運動のシンボルとなった。当時から支援者も多かったが、風当たりも強烈だ。

2019年1月26日土曜日

アフガニスタン戦争開始から17年 NYで反戦集会 Oct 7, 2018

Oct 7, 2018

End all wars now! rallies in New York. 107日アフガニスタン戦争開始から17年 NYでの2つの集会をはしごして辺野古基地反対・沖縄基地撤去を訴えました】



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11襲撃事件直後のNYの街の空気を、いまもはっきり覚えています。思わぬ出来事への混乱の中、人々の心を占めたのは、突然失われた命への悲しみであり、行方不明者として家族や知人がなんとか目撃情報を得て生存を確かめようと公園や街角に張り出す顔写真入りのチラシに込められた痛切な愛ばかり。



私の知る限り、復讐に燃え、誰かを殺せというような声を聞くことは周囲ではまったくありませんでした。命の大切さをかみしめる時間だったから。

それなのに、あっという間にアフガニスタンへの空爆が始まり、それがその後、アメリカで「テロとの戦争」という口実のもとで大手を振ってくり広げられていく、世界制覇と利権の独占的確保を求めるとめどのない戦争の連鎖への始まりになっていきました。

かつてベトナム戦争の時代に、戦争への加担を余儀なくされ、「悪魔の島」と呼ばれる悲劇を負わされた沖縄は、またしてもその基地からアフガニタンなどでの戦争に兵士を送り出す場所にされてしまいました。

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年前に空爆で開始された戦争はいまも続き、巨額の戦費と大勢の犠牲者を出しながら、いまだに終結のめどがたっていません。

また、イエメンでは500万人を超える子どもたちが飢餓に直面し、世界最悪の人道危機として国連が警鐘を鳴らしているにもかかわらず、イランつぶしに邁進するアメリカはサウジアラビアへの支援をやめようとはしません。

事態をメディアが報道することもほとんどなく、戦争は、一般市民の関心と興味のレーダーにひっかからない他人事になってしまっているようです。軍事費に湯水のごとくお金が使われているというのに。人の命は、ますます軽く、値下がりしていくばかり。







と、ぶつくさいいながらも、行ってしまえば、やっぱり元気をもらえるのが、平和を信じて声をあげる人たちの集会です。今日は、NYで戦争反対をアピールする集会がふたつあり、沖縄スタンディングのいつもの仲間たちとはしごで参加しました。

正午から始まったNY市立図書館前での集会は、戦争抵抗者連盟(War Resisters League)というアメリカで最長の歴史を持つ反戦平和団体のNY支部が呼びかけ、ベテランズ・フォー・ピースやグラニーのメンバーなどが参加する、歌があふれるいかにも市民団体中心の和気藹々とした集まり。

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時からメイシーズ・デパート前のヘラルド・スクエアで始まった集会は、イエメンに大きな焦点が置かれ、ベネズエラ、ブラジル、などアメリカの外交・軍事政策で民主的な勢力が打撃を負わされている国々の代表がスピーチしたりと、より国際的で政治色が鮮明。コリアのコミュニティ・グループNodutdol のメンバーたちは、私たち沖縄反基地組と同様、両方の集会に参加しました。




あゆみさん、明子さん、わかこさん、ゆかさん、ふみこさん、私は、それぞれのメッセージ、そしてワシントンDCにいて今日は参加できないShizu さんから預かった「辺野古基地反対」バナー、デニーさん当選の記事をポスターサイズに拡大したサインをもって参加。あゆみさんは、お太鼓でNodutdolの太鼓とセッション。




結構、目立つひとかたまりになったので、通りかかる人も含めて、どっさり写真も撮られて、辺野古の現状を告げる動く広告塔になれた気分。














ふたつめの集会では、早めについたのでゆんたくしていると、主催者のサラさんが、近づいてきて「で、今日は誰が沖縄のスピーチするの?」と聞く。





え~、そんなもの、ま~ったく準備してない。でもな、せっかくだしな、やるか、なに言おう、英語だし~とあせりまくっているうちに、あっというまに順番が来てしまった。

後で思えば、あれも言うべきだった、これも言ってない、と後悔ばかり残ります。

でも、琉球処分にさかのぼる日本による強制的併合、血塗られた戦争で本土の防波堤とされたあげく米軍基地を押しつけられてきた沖縄の歴史。日本政府による辺野古ごり押しに沖縄の人々は反対し、でも土砂投入寸前だったのが、デニーさん当選で、とりあえず埋立の流れをせきとめた。日米にルーツをもつ新知事が、はっきり新基地ノーと言っている。日米政府は間違いなくつぶしにかかるだろうけれど、ぜひ、一緒に彼を支えてほしい。基地がなければ、戦争はできない、私たちはそう考えています。一緒に起ち上がってください。というようなことを、なんとか、言ったつもり。


嬉しかったのは、集会の締めくくりに近い演説で、アメリカの反戦団体の連合UNACUnited National Antiwar Coalition)の代表のジョーさんが、11月にダブリンで開かれるアメリカとNATOの軍事基地に反対する世界会議の宣伝をした後、こんな風なことを言った。

「世界には数百もの米軍基地・軍事施設がある。今日の集会には沖縄の基地に反対する人たちも参加してくれたが、沖縄では住民が来る日も来る日も、街頭に出たり座り込みをしている。なんとも、頭が下がる。ぜひ、ほかの国の基地でも、後に続いてほしい」。





ふたつの集会後のデモの行き先は、いずれもタイムズスクエアにある壁一面が星条旗柄の米軍の兵士採用施設。歩きながらジョーさんに「さっきは、ありがとう」とお礼を言ったら、「沖縄は、僕のインスピレーション源だから」と言う答えがすぐさま返ってきた。ジョーさんは、いつも優しい。



ゲート前のみなさん、カヌー隊のみなさん、辺野古やその他でいつもいつも頑張ってくださっているみなさん、ありがとうございます。みなさんの思いを受け止めて平和への力にしている人が、アメリカにも確実にいます。